第13回ヒカクテキ読書会「肉弾」報告

616日(日曜日)午後7時半より

『肉弾』河崎秋子(2017年、(株)kadokawa

 

2023年に「ともぐい」で直木賞を受賞した作家の、様々なテーマを内包しつつもエンタメ性あふれる娯楽作品。

親子で猟に行った北海道の山の中で、父親を目の前で羆に食い殺された青年ミキヤが、必死で逃げ、現れた野犬の群れのボスと格闘して後和解し、チームを組んで一緒に羆に立ち向かい勝利するというストーリー。

 

まず最初に、ここには掲載できませんが、集めたよりすぐりの写真を使って、「チームラウダ(小説にでてくる犬の群れ)」を皆さんに紹介しました。

それぞれの、犬種の特徴や、小説の中の設定を詳しく解説。

それから、具体的なイメージが定着したところで、みなさんの感想を聞きました。

今回は、終始和気藹々と盛り上がって、てんでに好き放題に発言したので、ここでは少し省いたりして、まとめてあります。

 

Njさん

普段読む文章とは違う感じはしたけど、どんどん読み進めることができた。

映画にしてもいいなあと思った。

犬と人間が仲良くなっちゃうってことは、もちろん普段の生活ではあるだろうけど、野犬とというのはどうなんだろうなあと思いながら読んだ。面白いです。

 

Kさん

いっきにこれまでの読書会の内容から娯楽にふってくれてる感じがして、読みやすくて良かったです。このくらいアクションがある方が、個人的には好みです。

野生動物が・・・今回は主人公とワンコが和解したけれども、これはワンコだから良かったと思って、猿と和解できるビジョンって見えないじゃないですか。

だからやはり、犬と人間の関係性みたいなのが、遺伝子レベルでマッチできる感じがして、面白かったです。

この前、バイクで山を走っていたら、猿が並走してきてけっこう怖かったです。

前に体の大きなチンパンジーの怖い話を聞いて、チンパンジーのブルーノ、車が事故ったのを見て群れで襲ってきたっていう話、それで、このバイクが急にエンストしたらと思ったら怖かったです。

だから、野生動物って、基本は怖いですよね。

この主人公のいざとなった時の度胸の据わり方がすごかったですね。実際こんな環境になったら、肝すわらせるしかないんですかね、って感じがしますけど。

普通に山から脱出しても、もとの生活に戻れない気がしますよね。

ま、犬は飼うやろうな、と思いますね。

そんな感じで面白かったです。

 

Ha
さん

読んだけど、頭にちゃんと入っているのか、なんせけっこう血がでるので、そこのところは飛ばしたけど。

ほんと、エンタメだなあと思って読んで、豚が赤ちゃん食べてその豚を食べるとか、お父さんが熊に食べられてその肝臓を食べるとか、食べて乗り越えるというその発想が、原始的なんかなあって思いつつ。いきなり主人公が強くなるので、すごいと思って読みました。

最後は本当にこの人どうなるんやろうということと、鉄砲は置きっぱなしでいいのかということが、すごい気になりました。人が入る場所なのに、鉄砲置いたまんまで大丈夫か!?

それぞれ皆に背景があるので、誰も悪くないみたいな感じがちょっとしますよね?皆の背景が書いてあるから。

熊が悪い訳でもないし、みたいな。

 

 

Sa
さん

ザ、エンタメ、でしたね。自らは絶対選ばないだろうなという作品なので、読んで良かった。

やっぱり、(このお父さんの態度とかを読んで)猟とかを趣味でやるのはあんまり良くないなと思いました。

昔、貸別荘みたいなところに泊まりに行った時に、野生の鹿がでてきたことがあって、鹿ってたぶん何にもしてこないのかもしれないけど、大きくてすんごい怖くて、みんなで逃げた。やっぱり野生は怖いなあって。

最近は熊もいっぱいでてくるようになって、怖いですね。

 

Hさん

やっぱりエンタメだったんだけど、悲しいかな、といったら変だけど、どんどん読んで、いつもぎりぎりに読み終わるのに、筋書きがどうなるのかなと思って、3日くらい前に読み終わりました。

読む前に文庫本のカバーに作者の簡単な紹介があるんだけど、異色の経歴というか、「ニュージーランドで緬羊の飼育技術を学んで、自宅で酪農従業員をしつつ、緬羊を飼育」しながらこんな作品を書いているんだなと思ってずっと読んで、確かにこの主人公のキミヤってどうなるのかなあっていう感じ。自分の日常からもかけ離れた話だったんで、面白く最後まで読んで・・・。

熊がでてくるんだけど、熊の怖さをもうちょっと書いて欲しかった!熊が全然怖くなくて、ずいぶん前に「熊谷達也」の「熊と熊撃ちの猟師の話」の本を23冊読んだ時は、熊が怖くって、しばらくはその恐怖を思い返すようような経験があったから、路線も違うけれど、身の毛もよだつような熊の怖さまではなかったな。意外と怖くはなかったな、と。獣の怖さはなくて、あら~?みたいな。

でも、この主人公がどんな感じになっていくのかなと、楽しく読みました。

 

Nam(私です)

たぶん、熊のこともっとっていうんだったら、同じ人の「ともぐい」っていう直木賞とった作品が、まさに「熊と猟師」の話、熊文学。

(ここで言い間違えたんですが、「肉弾」(2017年)は「ともぐい」(2023年)の前に書かれたものです)

この河崎秋子さんって、私も知らなかったんだけど、うちが北海道で酪農をやってる一家で、熊の害っていうのは、身をもって知っている・・・そういう人なんだよ。

だから、北海道の開拓者とか入植者っていうのは、常に熊との闘い、身の危険が常に隣り合わせにある、熊が牛を襲ってきたり、貯蔵した穀物を盗まれたり、そういう中で必死にやってきた・・・。そういう人たちの子孫というか、そういう係累にいる人なんだよね、この作者は。

だから、バックグラウンドに「北海道と熊」っていうのがある人。

そして、確かにこの話の中では、熊っていうのはそんなに集中して表現されてないと思う。もともと熊の怖さとか生態とかを知っている人なら多少は汲めるけど、そうでなかったら伝わりにくい表現にはなってると思う。

で、これで一番何が面白いかっていうと、もちろんこれにはエンタメながら色んなテーマが入っているんだけど、やっぱり一番面白いのは「豚」じゃない?

豚が赤ん坊を食った、血だまりがあって、糞をしてて、でもみんな飢えているんだよね、イナゴに作物食い荒らされて、食べ物が取れなくて、入植者が全員飢えてるんだよ。その中で、赤ん坊が豚に食べられて、「さあ、この村ではこの豚をどうすんだ?食べないのか?」って思わなかった?

まずここが一番の山場!

夜中に若夫婦がすごい形相で豚の肉持ってやってくる。「お前ら食えよ、食ってこそのうちの子供の供養なんだ」という目をして豚肉渡してさ。

そして、男はちょっと腰が引けてるんだけど、嫁さんがさ「いいじゃない、調理しないと腐っちゃうんだから」って、とっておきの大根だの芋だの入れて、油だの砂糖だのを入れて煮て、子供たちはまわりでわーいわーいと喜んで、犬は美味しそうな匂いがするから遠吠えしてるんだよね。

(描写が美味しそうで、だからこそ不気味で、と皆が)そうなの!

で、ここでひとつ、これが昔の入植者の生き残りみたいなお爺さんが「自分たちの昔にこういう話しがあった」と、そして、「姥捨て山の話もある」と。

それだけ過酷な状況だから、食い詰めちゃったら年寄りは自分で死ににいくんだ、と。山に。

そして、そういう話しをした後に、やっぱり熊倒したら自分のお父さん食べて胃袋の中にはその残骸が入ってる熊を食べるじゃん、この男の子は。

「食べさせる」んだよ、この作者は。

で、「これでかたき討ちだ」と、食べずにはいられない状況にこの主人公を置いて、こんなやわやわな主人公が、血がでるような内臓を切って食べるという。

この作家は、そこが書きたいんじゃないのと思った。

Haさんじゃないけれども、「生き物を殺してその命を食べるというのがどういう感覚のものなのか」っていうことを書きたかったんじゃないのかなっていう感じだけどね。

結局はみんな「食って食われて」の関係性だから、その「食って」の中に自分の身内がいるかもしれない、村の誰かがいるかもしれない、だけど、「お互い食って食われてでしょ?自然界ってそうでしょ?食って食われてでしょ?」って書いてあるのかなあと思って、そこが一番面白かったよね、私は。
豚のシーンが。「やっぱり食べるよなあ」って。

 

Kさん

最後の解説の部分に書いてあるんですけど、これ読んでると「野生動物と人間が対等な状態になる」のが描かれている訳なんで、ほんとに「食って食われて」というか、「勝ったものは食べる」っていう世界の話だったので。

 

Nam

私はまだ読んでないんだけど、直木賞をとった作品も、題名が「ともぐい」なんだよね。これは、「熊と猟師の話」なんだけど。

 

Hさん

そしてまた、人間であるキミヤが、そこで自分の居場所を見つけられたって言うのが、日常の大学生活の延長じゃなくて、追いこまれたれた自然の中で初めて生きることが出来た・・・みたいなね。

色んなテーマというか、要素が入ってるなあ、って。

 

Nam

若くして、親との軋轢のなかにいる人だったら、そこを中心に読むかもしれないしね。通過儀礼みたいなね、大人になる通過儀礼、だから「父親殺し」だよね?「父親ごろし」で「通過儀礼」で「大人になる」みたいなテーマも入ってるよね。

しっかし、この父親チャラいよね、終始私をいらだたせてくれてさ。

 

Hさん
でも、この父親は息子を狩りにつれていくことで、この息子が生きる力を復活させたんで、結局は父親が救ったともいえるのかなあ・・・と。

 

※ここから皆さんとわあわあと楽しく笑いながら、父親のダメっぷりとかで盛り上がる。

 

Nam

もうこれさあ、色んなものぶっこんであって、さっきKさんも言ってたけど、やっぱりこれは「犬」、犬好きの話だよね?犬好きの為の。

犬っていうものに全く思入れのない人間だったら、この最後にキミヤがラウダ達と引き裂かれて泣き叫ぶ感覚とか、たぶん全然わからないよね。野犬になってたラウダと交流する時のさ、心強いような感覚とか、傍にやってきたラウダに感じる、ああいうのはやっぱり犬好きなんだろうな、この作者は。

とかさあ、意外とチワワの習性を良く知っているとかさ。

 

※ここから、あれやこれやと詳しく犬談義。勇敢なチワワ可愛い。狼犬ラウダ尊い。白黒カッコイイ。フォックステリア哀れ。犬の習性を正しく理解してきちんと対応できない人間の大馬鹿野郎。

 
Nam

これはさ、心に傷を持った犬たちが集まって、群れを作って、リーダーを持って、お互いに役割を持って、みんなで暮らしているという、立派な犬たち。

 

Kさん

そう、捨てられたっていう感じであっても、そんなに不幸にはなってないような感じもするっていうのが・・・。自分の群れを見つけられて、身勝手な人間から離れて。

 

Hさん

この主人公が急に勇敢になるんだけど、こんな風になるもんかねえ?ちょっと急すぎるかなとか思って。

 

Kさん

ほんとに死ぬような目にあって、へたれをリセットしたら、できるんですかねえ。

 

Nam

なんか分かんないけど、陸上部だったじゃん。それも長距離走だよね。それが意外と効いてるんじゃない?忍耐強さとか。

 

Saさん

キミヤもちょっと変わった子というか、マラソンのところの描写では、強い執着があるとか。

 

※キミヤが閉じこもるようになった原因の、負けた試合の時のチームメイトの態度が酷いという話とか、キミヤも事故にあっていたことを申告すべきだったとか、感想色々。

 

Hさん

色々なスポーツがある中で、「走る」っていうのは確かに動物にもできる、例えばこれがテニスとかバスケットとかサッカーとかだったら動物にはできない、唯一じゃないにしても動物と対等にできるたぐいのものだったかなとは思う。

 

aさん

しかも、駅伝でチームなんだよ。

 

Nam

そうそう、チームなの。そこ重要だよね、チームってとこがね。

まあ、もちろん考えて色々設定はしてるんだろうから。

ま、結局は「丸腰」ってことだろうから。

あのこんなちっちゃいナイフしか持ってなくて、で、歯で噛みついてなんとかしようって(笑)

 

Haさん

この人も「野生にかえった」っていうね。

 

Njさん

噛みつくの意外だったよね。

 

Nam

人間って、爪なんて弱くて土も掘れないような爪じゃない?
結局銃は失ってしまって、こんなちっちゃなナイフしかなくて、じゃあ何で戦うのか?ってなったらもう「歯」くらいしかないんだよね。

 

Saさん

だって、熊倒したのなんて、偶然だもんね。

 

※熊を倒したシーンのありえなさの話とか、参加者が山登りで熊にあったことはないがイノシシはあるとかいう話しとか、1970年くらいに福岡大学のワンゲル部が日高山脈でヒグマに襲われて死亡した事件の話とか、この小説にはあんまり熊がでてこないという話しとか、やっぱり意図的に犬の話が重点的に書かれたんだろうという話しとか。

エキノコックスの話とか。

熊の肉を食べたことあるのか、満漢全席の「熊の手のひらの料理」の話とか、他のジビエの話とか。

ツキノワグマの子供を抱っこした時に感じた色々なことから、ヒグマの厚くて固い皮にはナイフが歯が立たないんじゃないかという話とか、銃も下手に頭に当たったら跳ね返すんじゃないかという話しとか。

山に住んでいる熊と、町に餌をあさりにくる熊との生態や体格の違いとかの話とか。

雪国に住む人間は、風土からくる性格の違いがあるのかという話しとか。

 

Nam

本に話をもどすけど、このラストがちょっと甘いみたいないいシーンで終わるよね。
ラウダが、救助のヘリが来たから逃げているんだけど、キミヤが「ぺっ」って吐いた折れた歯をさ、そっと咥えてさ・・・。

「あの非力な人間が熊に噛みついた時に折れた歯だ」とか言って、「だけど、自分を屈服させた歯だ」と。自分に噛みついてね?首にね?

「あの人間の犬歯だ」って、そっと咥えてさ、大事なものを置く場所に一緒に置くよね?

ちょっと神々しいようなラストだよね。

つまり、「仲間」?

自分の仲間はもう何匹も死んだんだけど、このキミヤとラウダの関係性?ラウダがキミヤをどう認めていたか、っていうね。

仲間であり、自分を屈服させた相手であり、だけど非力な人間で熊に立ち向かっていった人間。一緒に戦った相手って感じで、そんなに執着する訳じゃないんだけど、そっと歯を咥えて遺物を置くところに置く。

「遺物化されてる」?「聖なる遺物」みたいにされちゃうの。

ちょっと美しいシーン。

 

Hさん

「犬歯」っていうのをうまく使ったなあって。

 

みんな

犬だけに、「犬の歯」だもんね(笑)

 

Nam

キミヤはラウダと引き離されて、わーわー取り乱してるんだけど、ラウダの方はいたく当たり前のようにそれを受け入れてさ・・・またここで群れを作って暮らしていく。

本来はさ、一対一で対するべき相手じゃん?熊なんてさ?

それで、人間は何も戦うものを持ってないから、度胸と・・・勇気と、銃の腕・・・。
ほんとに腹がすわったような「命がけの度胸」を持って、一対一で立ち向かう・・・それでやっと「互角かどうか?」くらいの相手。

それを、銃も無く、何も無く、こんなちっちゃなナイフしか持ってなく、戦ったこともない男が・・・。

だけど、「犬とチームを組んで戦う」っていう話・・・だよね。

あの・・・娯楽小説(笑)

ものすごく素晴らしい作品ではないのかもしれないけれども、楽しみ方はあるよね?

 

みんな

面白かった。

他の本よりは、どんどん読めちゃう(笑)

 

※先が気になって夜中に読んだ話とか、写真集めて「チームラウダ」をビジュアル化して応援した話とか、キミヤのビジュアルの話とか。

 

Hさん

熊と戦う時に、長距離のスタートの構えをしたのは、いい感じ。

 

Nam

あれが、彼の「闘争のポーズ」なんだろうね、キミヤの戦いの場は長距離だったからね・・・ちょっと変だけど(笑)

 

Saさん

でも、キミヤにとっては、マラソンってお母さんもやってたってところで、やっぱり大事なものだったんだろうね。きっとね。

 

Hさん

もし地上に戻ったら、また長距離はやるかもね。

 

※ここからキミヤの家庭環境の話とか、父親の三番目の妻に誘惑された話とか。

その時に父親が妻を殴って自分のことは殴らなかったことからくる鬱屈の話とか。

 

Haさん

このラウダが名前を呼ばれた時に、反応するの、良くなかったですか?
(首輪に書いてあった名前をキミヤが読み上げる)その時に、まわりは犬同士だから知らないけど、キミヤは字が読めるから「ラウダ」って読み上げた時に、「ぴっ」って反応するところが、すごく良かった。

 

みんな

そうそう。

 

Hさん

人間に飼われていた時のことを、忘れてはいないというか。

 

Haさん

だから、あれでちょっと反応するのが・・・。

あれでちょっと、(キミヤが)優位に立てたかなあ?って感じもするし。

 

Nam

ラウダに最初つき従っていたピレネー犬がいるじゃん、白い。
「名を欠いたもの」って書いてあって、名前を呼ぶところが●でつぶしてるんだよね、少年の名前は◯でつぶしてあって。
読んでると、そこだけ音声がミュートになるみたいな、不思議な感じで読んだ。書いても文脈的には通じるのに、なんでだろうと。

彼は名前があって、人に飼われている時はその名前で呼ばれていて、記憶もあるはずなんだけど、読者にはその名前は明かされないんだよね。

ラウダが心身ともに傷ついてた時に、寄り添って助けてくれて、死んでしまうんだけど。遺物を残して。

なんというか、森の神様みたいな。

 

※ここからは、今回の作品に「熊要素」が少なかったので、思い切り「熊」に特化した本の紹介をしました。

そして、見ていただけるページは見ていただいて、熊の生態、熊の恐ろしさがみなさんに染みわたるように具体的な話もして、そして、そんな熊を猟師が撃つというのがどういうことなのかという話もさせていただきました。

文末に、本の紹介だけざっと掲載しておきます。

 

 

↓◆ここからは私の個人的な感想です。

 

子供の頃からずっと、「一番嫌な死に方は、生きながらにして獣に喰われること」だと考えてきた。

だから、逆にそれが現実にはどういうものなのかに興味があって、色々な映像や動画を見たり、文章やマンガを読んでしまう。

 

キミヤの父親がヒグマに喰われるシーンには、正直がっかりした。

その後の戦闘シーンも、皆さんも言っていたように、「もっと熊を!」と不満を叫びたくなるほど肩透かしだった。

 

前述しているように、一番印象に残ったのは、昔の入植者の話で、豚が赤ん坊を食べ、その豚を村人がみんなで食べるシーン。
そして、そのエピソードはキミヤが父親を食い殺したヒグマを倒し、生の肝臓を切り取って共闘した犬達と分けて食べるシーンに繋がっていく。

 

現代の人間は、自分の手で野生の生き物を捕まえて殺して食べることはほぼ行わない。

食の観点でいうならば、人間に飼われている生き物は別として、地球上で唯一の不自然な存在、それが人間だといえるだろう。

不自然な人間は自分たちもまた自然の中に組み込まれた存在だということを忘れ、思い上がり、自分たちの損得で調和の取れている自然を壊すことを平気で行ってはばからない。

 

この小説の中に書かれていることは事実が多い。

入植者が、畜産の被害を恐れてエゾ狼を毒薬で根絶やしにした。結果、異常にエゾシカが繁殖し、自然のバランスが崩れて自分たちの生活に影響を与えるようになってしまう。そしたら、ある男が今度はアメリカから狼を輸入しようと思いつく。しかし、色々な反対から計画は頓挫する。ここまでは事実だ。

 

小説では、その後、計画した男は、狼への夢をあきらめきれず、個人的にあこがれの狼犬を飼うことにするが、無知から独特の気性の大型犬を飼い切れず、虐待して家から追い出す。

それが、ラウダであった。
名の無いピレネー犬に助けられて生き延びたラウダは、人間に傷つけられた元飼い犬達と、群れを作って暮らすようになる。

 

どこから読んでも、人間が愚か過ぎてどうしようもない。

 

この小説では、不自然な存在の一員であった人間のキミヤを、武器もなく山の中のサバイバルな状況に放り込んで、彼の中の野生を開花させる。

否応も無く、野生化するしかなかった、心に傷を持つ犬たちとチームを組ませる。

そして、日本の自然界の中で敵にすると最も恐ろしい生き物、ヒグマを倒す。

 

ここで誤解してはいけないのは、元飼い犬達はそもそも野生動物ではないということだ。長い年月をかけて、人間が品種改良をしてきたその体も、精神も、野生での暮らしには適応していない。

彼らの今の生き方が、この上もなく過酷なものであるのは、想像に難くない。

それでも、ラウダは、仲間は、自分の生きる場所で懸命に生きている。

だからこれは「自然(ヒグマ)」対「非自然(キミヤ)」プラス「元非自然(犬たち)」の構図ともいえるだろう。

 

最初に死んだ犬、ピレネーは、体が大きいから、声が大きいからと人間に捨てられ、それでもあきらめて運命を受け入れ、しかし、掘り当てた人間の大腿骨の匂いに懐かしさを覚えて食べるのをやめ、大切なものとして大事にとっておく。

そして、それをラウダが引き継ぎ、遺物として保管する。

最後に、キミヤが熊に噛みついて折れた犬歯を、ラウダは匂いで見つけ、そっと咥えてピレネーの残した遺物と一緒にする。

戦士が戦死を称えるように、一緒に戦ったキミヤのことを思い出しながら。

 

捨てられても、傷つけられても、結局は人間を忘れられないラウダ達が悲しい。

 

人と、犬は、かほどに結びつきが深いのだ。

少なくとも数万年と言われる人と犬との共存の歴史は、犬に遺伝子レベルで人間への愛情や信頼を植え付けた。

そんな動物は他にはいない。

 

人間が、人間として大切なものを失なわない為に、犬が時に無条件で寄せてくれる心を裏切りたくはない。

そして、犬は現代の人間と自然を仲立ちする存在になる得るのではないだろうか。

犬を知り、その知識を拡大していくことで、あらゆる人間以外の生き物を知ろう、全ての自然を知ろうとする態度を持ち続ければ、ひるがえって己たち人間のことも知ることもできる。

 

この作者がそこまで明確に意図していたかは分からないが、間違いないのは、この作者もまた犬好きだということは良く伝わって来た。

 

それから、せっかくなので熊のことももっと知ろう。

都会に出てきた危険な熊を撃ったら、「かわいそう」と批判が沸き起こる現状はいびつだ。

「食べ物がないから人間のものを狙うのだ。どんぐりを山に撒こう」とかも、適切な対応とは思えない。

もちろん、エゾ狼のように、全滅させるのはもってのほかだ。

人と熊の一騎打ちだと、「熊撃ち」にロマンを求めすぎるのもまた違う気がする。

人間が変化してきたように、人間の存在のせいで熊もまた変化している。

複雑な問題を多く内包しているが、これもまた興味深い。

 

 

※追記

ちなみに、病気がちな母親に食べさせようと庭に植えた里芋を、イノシシに全部荒らされた時は、本気で殺ってやろうと思った。

もちろん、里芋の代わりにイノシシを食べるつもりだった。

私の中にはまだ野生の血が流れているらしい。

銃は無いし、罠をかけるのも法律違反になるから、手作りの槍などの武器で殺ろうとした私は、母に必死にとめられた。

母の顔をたてて、諦めざるを得なかったことが、今でも少し悔しい。

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■小説中に熊成分が薄かったので、改めて熊関係の本の紹介

◇三毛別ヒグマ事件

苫前町は、明治20年代の後半になると原野の開拓が始まりました。未開の原野への入植は続きましたが、掘っ建て小屋に住み、祖末な衣類を身につけ空腹に耐えながら原始林に挑み、マサカリで伐木しひとくわひとくわ開墾したのでした。

大正初期、町内三毛別の通称六線沢(現・三渓)で貧しい生活に耐えながら、原野を切り開いて痩せた土地に耕作をしていた15戸の家族にその不運は起きたのでした。

大正4年(1915年)129日、10日の両日、380キログラムの巨大な羆が現れたのです。冬眠を逸した「穴持たず」と呼ばれるこの羆は、空腹にまかせて次々と人家を襲い、臨月の女性と子供を喰い殺したのでした。

その夜、この部落で犠牲者を弔うため人々が集まり通夜が執り行われていた民家に、再びこの羆が現れ、通夜は一転して悲鳴と怒号の渦と化しました。人々は逃げて奇跡的に助かりましたが、食欲が満たされず益々興奮した羆は、再び近くの人家を襲い、9人の内5人を喰い殺したのでした。

この事件の犠牲者は10人の婦女子が殺傷(7人が殺され、3人が重傷)される、獣害史上最大の惨劇となったのです。

恐怖のどん底に落とされたこの部落に、羆撃ち名人として名高い老マタギ山本兵吉が鬼鹿から駆けつけ、1214日にこの羆を射殺したのでした。その時、突然空に一面の暗雲がたちこめ激しい吹雪となり、木々が次々となぎ倒されました。

この天候の変わり様に人々は「クマ嵐だ!クマを仕留めた後には強い風が吹き荒れるぞ!」と叫んだのでした。

「三毛別ヒグマ事件を題材にしたもの」


◆木村盛武

『獣害史最大の惨劇苫前羆事件』旭川営林局1964

『慟哭の谷 The Devil’s Valley1994年、共同文化社

『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』2015年、文藝春秋
慟哭小

事件から46年を経た昭和36年(1961年)、事件地を管内に持つ古丹別営林署に赴任して来た林務官・木村盛武氏(大正9年生まれ)が、事件の真相究明に乗り出す。

祖父も父も林務官という家庭に生まれ、惨劇のあらましを45歳頃に聞かされ、ショックを受けた。

 幸運なことに、事件後46年も経過していたにも拘らず、奇跡の生存者が4名、遺族や討伐隊として活躍された方、幼少ながら事件を見聞きした人等、30数人の生き証人がいた。木村氏はそれらの人々を片っ端から尋ね、徹底した聞き取り調査を行った。

そして、昭和39年(1964年)にその全容を解明し、「獣害事件最大の惨劇・苫前羆事件」(苫前羆事件は現在「三毛別羆事件」として一般に呼称されている)と題して旭川営林局誌「寒帯林」に発表。

『慟哭の谷』は、それにいくつかの事件などをプラスしたもの。

◆戸川幸夫

『羆風』小説新潮8月特大号、1965

◆矢口高雄

『羆風(コミック)』戸川幸夫原作、矢口高雄作画

・野性伝説(原作:戸川幸夫、1995 – 1998年、月刊ビッグゴールド(小学館))

収録作「爪王」「羆風」「北へ帰る」「飴色角と三本指」

羆風小
戸川幸夫の「羆風」をベースに、戸川幸夫が基にした
『獣害史最大の惨劇苫前羆事件』の作者木村盛武にダイレクトに電話取材してマンガ化したもの。
持ち味のややコミカルなマンガ的絵でありながら、身の毛のよだつような執拗な熊の攻撃の描写がリアル。

◆吉村昭(1927 – 2006年)

地道な資料整理、現地調査、関係者のインタビューで、緻密なノンフィクション小説(記録小説)を書き、人物の主観的な感情表現を省く文体に特徴がある。

『羆嵐』1977年、新潮社のち新潮文庫

羆嵐小

 事件が余りにも劇的で、それだけに文学の世界の中で咀嚼するのは至難だった。それまで四年ほど取り組んでいた記録小説からの脱皮を考えていた私は、事実を基礎にしたフィクションとしてこの素材をかみくだき、再構築することにつとめた。八カ月ほどして三百五十枚の小説を書き上げたが、こまかい砂粒の中に小石がまじっているように、事実の素材が生のまま残されているのが不満だった。私は、この小石をさらにこまかく砕かねばならぬと考え、一年間放置して客観的に見直す時間を作った上で、さらに一年間を要して初めから書き起こし、ようやく完成させた。私が最も苦しんだ小説の一つであった。

・『羆撃ち』1979年、筑摩書房のち筑摩文庫

 羆嵐の取材中に聞き集めたマタギの実体験をまとめたもの

熊撃ち小

「その他の熊関係本」

◆河崎秋子

『ともぐい』2023年、新潮社

ともぐい小
「肉弾」の後、これで直木賞受賞。
熊と猟師の話。

170回直木賞受賞作! 

己は人間のなりをした何ものか――人と獣の理屈なき命の応酬の果てには

明治後期の北海道の山で、猟師というより獣そのものの嗅覚で獲物と対峙する男、熊爪。図らずも我が領分を侵した穴持たずの熊、蠱惑的な盲目の少女、ロシアとの戦争に向かってきな臭さを漂わせる時代の変化……すべてが運命を狂わせてゆく。人間、そして獣たちの業と悲哀が心を揺さぶる、河﨑流動物文学の最高到達点!!

◆久保俊治

『羆撃ち』2009年、小学館のち小学館文庫

熊撃ちフチ小

ノンフィクション。日本で唯一の羆ハンターと美しき猟犬との熱い絆の物語。著者は北海道で羆のみを追う日本で唯一のハンター。相棒の北海道犬「フチ」との出会いから、リアリティに充ち満ちた狩猟、アメリカ留学、帰国、そして再びの猟生活を類い希なる表現力で描く。

◆野田サトル

『ゴールデンカムイ』2015年~2022年集英社ヤングジャンプコミックス全31

カムイ小

明治末期、日露戦争終結直後の北海道・樺太を舞台とした、金塊をめぐるバトル漫画。加えて、戊辰戦争・日露戦争・ロシア革命などが関わる歴史ロマン要素のほか、北海道・樺太独自の動植物・狩猟を描くサバイバル要素、各地の料理を堪能するグルメ要素、アイヌなどの民俗文化の紹介要素も併せ持つ。さらに、ギャグ要素や映画・アニメなどのオマージュ、ホラー要素も盛り込まれているため、「冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ホラー・GAG&LOVE!和風闇鍋ウエスタン!!」というキャッチコピーがつけられている。

取材に協力してくれたアイヌの人々から「可哀想なアイヌではなく、強いアイヌ」を描くことを期待された。

◆安島薮太(あじま・やぶた)

『クマ撃ちの女』2019年より、くらげバンチ(新潮社webマンガサイト)にて連載

クマ撃ちの女小
単独猟でヒグマを撃つことに取りつかれた、ちょっとイカレタ女の話。
事細かい猟のノウハウ、ヒグマに対峙することがどういうことなのか、色々と知ることが出来る面白いマンガ。
でてくる他のハンターたちも、ひとくせもふたくせもある。

<文責 ナンブ>

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