「砂の女」(安倍公房)
2月18日(日曜日)19時半~21時半まで(終了時間厳守)
◆最近の読書会はついつい長引いてしまうので、アラームセットして始めました。
まず、安倍公房がいたのは1924年(大正13年)から1993年(平成5年)で、「砂の女」の出版は1962年6月8日です。
それを踏まえて、みなさんの感想から。
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Saさん
昔の作品で、60年以上前の作品なんだけど、すらすら読めました。
サスペンスの要素もあって、面白かったです。
Haさん
随所随所が理系っぽい。最初の砂の説明のとことか。
調べてみたら、安倍公房は東大医学部出身で、だから物理の説明が入ってるのかと。
頭の良い人は変なことを考えるなあと。
薄々感じてはいたけど、現実世界と砂の世界は一緒じゃん!
読みやすかったです。
Njさん
最近何だか安倍公房づいているというか、さっき知ったんだけど、ベルリン映画祭で安倍公房の「箱男」を映画化したものが賞を取ってた。
そして、たまたま自分の授業で、「短編を読もう!」というのをやって、生徒たちに「空飛ぶ男」を読んでもらった。
自分は、理系の真面目さとか、読みづらさを感じた。色々と比喩的に読めるなあと思った。
疑問だったのは、「砂の女」という題名は、なぜ「砂の男」でないんだろうと、なんかそこがピンとこなかったな。
Kさん
読んで面白かったのが自分でも意外だった。今朝読み始めて、するすると読んでしまった。
それで、「いつの時代の人だっけ?」と調べたくらい。
理系だなあと思ったのは、砂の動きのこととかもそうだけど、とにかく男が理屈をつけようとするところもそう思った。プロセスを大事にするというか、理屈で自分を納得させる。
自分はけっこう感情移入してしまって、脱出のところで女への執着を見せるところとか…。
Nam(私です)
女が自分に行水をさせるのをとっても楽しんでいたけれども、もうそれもさせてやれないんだなあ……と思うところだよね?
Kさん
そう!
男は、肉体的にもそうだけど、精神的にも砂にとらわれて埋もれているんですよね。
Saさん
「砂の女」は、昔映画にもなっていて、安倍公房が脚本も書いているみたいなんだよね。
(注・確認した限りでは監督の勅使河原さんの脚本となっているので、ご本人に確認したところ、ネットで見たけど出典がはっきりしないとのことです)
Nam
主役は?
Saさん
女が、岸田今日子。
みなさん
うわあ~~~!
(岸田今日子を知らないKさんに、岸田今日子のすごさを説明)
Nam
岸田今日子に捕まったら、逃げられる訳がない(笑)
Kさん
声優もやってるんだ。ムーミンの声って書いてある。
Nam
私の感想は…男が昆虫採集に行くっていうのがそもそも好き。
ピケ帽かぶって、ズボンの裾を靴下に入れて、展翅ピンとか青酸カリとかが入った昆虫採集の道具を持っているいで立ちがイイ。
それから、狙っているのが「ハンミョウ」っていうのがリアルというか、新種を狙うなら「ゴミムシ」とか「オサムシ」とかみたいな地味な虫がイイと思うんだけど、「ハンミョウ」っていうのもイイ。
「ハンミョウ」っていうのは、道案内するみたいに、飛んではとまり、飛んではとまりして、追いつくのを待ってる習性がある。
そんなハンミョウに導かれて、男は奇妙な世界に足を踏み入れてしまう。
そんな道具立てがイイ。
後、食事する男に女が番傘をさしかけて降る砂を防ぐとこ、家の中なのに面白すぎる。
それと、最初の方で砂の定義とか理屈っぽく色々やってて……それ正しいの?とか思わず調べたら、案外正しかった。砂のサイズは2ミリ~16分の1ミリとか。男は途中から定義しなおして8分の1ミリって繰り返してるけど。
でも、砂がまるで生きた腐敗菌みたいにあっというまに家を腐食するとかは、ないと思う。
そこは作者の味付けの部分。
とにかく、読むと「口の中がじゃりじゃり」してくるよね。
みなさん
(同感の声)
Hさん
ネットで知ったんだけど、今年は「安倍公房の生誕100周年」で、Njくんの言った映画の「箱男」はそれに合わせた訳ではないだろうけど、講演とか色々なことがあるのかも。
いつもこれで申し訳ないけれども「新潮」の1月号に平野啓一郎さんが安倍公房への原稿を書いていて、「砂の女」にもふれている。まだ私は一部分しか読んでないんだけど。
去年、「箱男」を読んで、今回の「砂の女」は、同じ作者が書いたものという印象。
文章は読みやすい。
理系ならではの描写があって、そこがユーモラスにも感じられる。やけに細かく理屈をこねている。
読み始めたら、途中から怖くなってきて、パラレルワールドじゃないけど、40年も昔と今の時代にも通じている。(注・60年の言い間違いでしょうか?)
油断するとパラレルワールドに落ち込むかも?
個人的感想だけど、精神的疾患などが理由でひきこもっている人は、現実世界ではなくパラレルワールドに引き込まれるのかも、道を歩いていてもひきこまれていくじゃないけれども、そういう恐怖を感じた。
男が昆虫採集という、人と接する趣味ではなく、それがぴたっとくる趣味なのか、人がいないところに向かっていく。
Saさん
「世にも奇妙な物語」を思い出すよね。
Nam
どうでもいいことだけど、私「リアル箱男」に会ったことある。20年くらい前に、人けの少ない田舎の交差点に、頭にぴったりサイズの段ボールをかぶった若い男の人が信号待ちしてた。そのままスタスタ歩いて行った。
Hさん
顔を出したくない人とかいるかもね、ほら、頭にかぶるマスクとかあるじゃない?
Nam
マスクはそもそも頭にかぶるためのものだけど、段ボールは違うから、なんでわざわざかぶったんだろうと不思議だった。
Hさん
外からは分からないけれども、実は異世界に行った人はいるのかな?
Nam
「砂の女」に戻るけど、みんなさっきから、この小説は「理系っぽい」って言ってるけど、ここにいるのは、みんな文系じゃん!理系がどんなか分かってないじゃん!(笑)
この男は理屈っぽいけど、それが果たして理系なの?
理系って、結論(推論)ありきでそれを実証するものじゃないかと思うんだけど、この男の理屈には結論ないよね?
みんな騙されるな!(笑)
例えばさ、こういうこと内容のことが書いてあるじゃない?
これ面白いんだけど…。
「日本の精神分裂症患者の数は100人に一人。盗癖も同じ。男色1パーセント、女の同性愛1パーセント。放火癖、酒乱、精薄、色情狂、誇大妄想、詐欺常習、不感症、テロリスト、誇大妄想、高所恐怖症、先端恐怖症、麻薬中毒、ヒステリー、殺人狂、梅毒、白痴、全部で20パーセント。残り80パーセントももちろん列挙できるから、人間は100パーセント異常だということが統計的に証明できる」
Njさん
統計的にって書いてあるよね(笑)
Nam
まるで科学的なお墨付きみたいにね?これって変だよね。でも、思わず納得させられそうになる(笑)
あと、この小説って、今に通じることと、当たり前だけどやっぱりその時代だなっていう、今ならコンプライアンス的にまずいよね、ってことも書いてあるよね。
例えば、「性愛」についてのこととか、「朝鮮人がどうとか」「男色がどうとか」とか。
今に通じるなと思うのは、例えば「労働」のとことか、「新聞の見出し」とか。
新聞の見出しが並べてあるけど、これ、面白いよね?
《法人税務局汚職、市に飛び火》《工業のメッカに、学園都市を》《二児を絞殺、母親服毒》《頻発する自動車強盗、新しい生活様式が、新しい犯罪を生む?》《三年間、交番に花をとどけた、匿名少女》《東京五輪、予算でもめる》……
《女をまじえた、泥棒学校、授業料なし…》って、これなに!?(笑)
Njさん
なんだろうね?(笑)
Nam
「欠けて困るものなど、何一つありはしない」
って書いてあるけど、ホントだよね?
最後には、男は新聞を読まなくなるんだよね。
で、これって今の私たちの眼に毎日飛び込んでくるネットニュースの見出しと同じじゃない?
嫌でも流れ込んでくるし、情報量がけた違いに多いから、頭がもうパンパン。
どうでもいい人のどうでもいい話を、なぜか知っている私。
Njさん
「自由意志がなくなっている」っていうよね。
送られてくると読んでしまう。僕も読んでは「くだらないなあ」と思うし、でも、そうやってかなりの時間がたってる。
「良し悪しの判断がつけられない」というか。
Saさん
前は通勤の時にスマホを見てたんだけど、今は本を読むんだけど、それでぜんぜん困らない。
Hさん
私はそういう情報は、読まない。
Haさん
そういうネットの情報って、自分に必要だと思ったものを選択できる。
そしたら、自動的に例えば自分と同じような意見ばかりがあがってくるようになる。
そうして「やっぱりみんなそうなんだ~!」と思ってしまう。
Nam
それはそれで怖いね?
ネットの恐ろしいところは、その情報の本当の総数が分からないところだよ。声の大きい人たちから意見が書かれたら「世の中のみんなの意見」と思ってしまう。100の書き込みで「みんな」と思ったとして、でも、それは実は人口のほんの一部(しかも、100の中身が同じ人間でダブっていないとは限らない)なんだってこと、忘れないほうがイイよね。
簡単に影響されるのって、恐ろしい。
Hさん
でも、人に影響を受けるってことはあるし、悪いことじゃない。
Nam
もちろん、人はお互いに影響しあうし、そうして変化していくものだよね。でも、情報をまるごと鵜呑みにして、ぶれぶれな人っているじゃん。
Njさん
みんな「文春砲」でやられちゃって、不倫がどうとか関係者以外にはどうでもいいようなことで。
Nam
ホント、不倫とかどうでもいいよね?
Hさん
「マチネの終わりに」じゃないけど、「人生の罪の総量で」っていう考え方でいくと、誰でもある程度は良いことも悪いこともやるものだと思う。
Kさん
質問なんですけど、もしも自分の推しが文春砲にやられたとしたら、推しを嫌いになるかどうか?
(ここから侃々諤々と盛り上がる皆さん!
自分の頭で考えて好きになったんだからずっと推し派という人あり、文春砲の内容によっては許せないと思うものもあるという人あり、文春砲のような情報は受け流すのがいいんじゃないかという人あり)
Kさん
自分は推しを好きになったら極力愛していきたいと思うんですけど、もしも何か自分の知らない推しの秘密が暴かれたらと思うと、思い切って推し切れない気がするんです。
Hさん
私は、今のみんなの発言の中から「盲目的にならない方がいい」という言葉が刺さりました。
Nam
「砂の女」に戻そうか。
Haさん
私は、「砂の女」を読んで、なんだか「山月記」に似てるなあと思いました。
Hさん
実は私は、「コンビニ人間」に似てると思いました。
Njさん
「飛ぶ男」は未完なんだよね。
(注・調べたところ「空飛ぶ男」と「飛ぶ男」は別物。そして「空飛ぶ男」は結末が違う2つのパターンがあるようです。「飛ぶ男」は、「空飛ぶ男」を下敷きにして、長編化したもので、未完らしいです)
空を飛ぶ男の世界がどこかにあるんだろう……という気になる。
空を飛ぶ男が、飛ぶところを見られてその人のアパートに来る。見た人に「怖いでしょう?」と言うけれど、「怖くない」と言う。「怖くない」というけれども「怖い」。そして、怖い心が伝染すると、その人も空を飛ぶようになる。
面白い。それ読んでみたい。
作者はラストで男が失踪して、良かったとも悪かったとも結論を出していないように思います。
それが作者の強いて言えば優しさになるのでしょうか。
白でもなく、黒でもなく、グレーゾーン。
私としては、気がつかないうちに、失踪してしまったところに怖さを感じました。
(注・ここはちょっとその時に何を言われているのか良く理解できなかったので、次の日に掲示板にご本人が発言を修正して書いてくださったものを転載しています)
(↓ここからは、当日のその後の自分の発言を含めてまとめた私の個人的な感想です)
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「砂の女」の面白さのひとつは、なんといってもその奇妙な設定です。
「間断なくふりそそぐ砂に埋もれながら深い穴の中の崩れかけた家で暮らす女と、その女と否応なしに監禁同居させられる男」。
蟻地獄に捕まった蟻のように、どうもがいても逃げ出せない。
その奇妙な設定をリアルに描き出す、細密な描写が素晴らしいです。
この小説には、ストーリーの面白さだけではなくて、その地の自然に即して確立された奇妙な生活方式を、新鮮な驚きをもって覗き見る面白さがあります。
奇妙だがリアル、リアルだからこそ奇妙さがより浮き上がる。
実に効果的に、まるで男が現実世界と地続きではない異世界に迷い込んだような、不安感や恐怖を生み出しています。
それだけではありません。
「砂の世界の奇妙な生活」を当然のように受け入れている落ち着き払った女と、どんなにそれが理不尽な状況かと独自の理屈をいいつのる男のすれ違いは、そこはかとなく滑稽です。
「物理的には容易に元の住まいに戻れるはずなのに、どうしても戻れない」
その「逃げたいのに逃げられない絶望」が男の身に染みこんでくるにつれ、とてつもない恐怖が膨れ上がって、読者をも襲います。
ラスト少し前、ようやく逃亡計画を実行した男が必死に逃げ回って捕まってしまうスリリングな展開など、Sさんの発言のように「サスペンスのよう」で、どきどきしながら読み進めました。
舞台の設定以外についてですが、Njさんの発言した「比喩的に読める」ということには同感です。
比喩表現がとても多いのも、この小説の特徴です。
そして、そこにはいくつもの隠された作者の意図が垣間見える気がします。
1つを例に挙げてみると、Haさんの発言「現実世界も砂の世界も同じ」ということについて私もそう読みました。
真ん中あたりに「なにかの講演会で男が聞いた言葉」としてでてくるこの部分。
「労働を超える道は、労働を通じて以外にはありえません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働をのりこえる……その自己否定のエネルギーこと、真の労働の価値なのです。」
Njさんもこの部分は印象的だったそうですが、「まさしく、労働ってそうだよな」と私には思えます。
人間の社会が経済活動で成り立っている限り、人々は労働と無縁では生きられません。
今の私たちもまたそうです。
男にとっても、元居た場所での教員という仕事も、砂の世界で強いられた砂を掻き出す作業も、労働という意味では同じだといえます。
「過酷な砂の世界から逃げられないように、現実の世界でも人は労働からは逃げられない」
2つの場所の違いは、ただ労働の種類が違うというだけのことです。
どこにいても逃れられない労働、ではそこに希望はないのか?
「労働を超える道は、労働を通じて以外にはありえません」とありますが、私は、結局のところ、男は労働を超える道を見つけたのだと思います。
しかも、元居た普通の社会ではなく、何から何までが奇妙な砂の穴の中で。
そこがなかなか皮肉です。
逃亡に失敗した男は、部落の警戒を解くために、穴の中の生活に順応していきます。
ビーズを糸に通す作業に没頭する女に呼応して、男は負けずと単調な手仕事にせいをだします。やってみると日常の作業のあれこれに、鼻歌交じりに時が過ぎ、そればかりでなく生活をより良くするささやかな考案や工夫に、やりがいを感じるようになっていきます。
そればかりか、ついにはこんな思いがけないことが起きるのです。
桶で作った簡単な装置。
足にメッセージを結び付け脱出の足掛かりにする為の鴉を捕まえる装置に、男は「希望」と名を付けます。
私は、このわざわざ名前をつけ、しかもその名前が「希望」などというわざとらしいものであることに違和感を覚えました。
しかし、恐らくですが、この名前には作者の意図があったのではないかと感じます。
ある日、砂に埋めたその桶の底に、澄んだ綺麗な水が溜まっているのを見つけるのです。
人間は、パンドラの箱を空けて中に入っていたものを全てを失ってしまったけれども、ただひとつ「希望」だけは底の方に残っていた。
男はみずから「空疎な脱出の希望」を手放したかわりに、「もっと現実的な希望」を手に入れたのです。
砂の性質が装置と偶然に呼応して地下深くの水を吸い上げ、綺麗な水を生み出した。
もちろん、それは容易なことではないでしょうが、もしもこの浄化装置を発展させることが出来れば、水不足にあえぐ部落の未来は劇的に変わることでしょう。
人々を苦しめる呪いの砂が、人々の生活を豊かにする祝福された砂に変わる。
いつでも飲みたいだけ綺麗な水が飲める、毎日風呂にも入れる、不良の工事を生むと分かっていながら塩気のある砂をセメント用に密売して金にする必要もなくなる、収入の道が開けるような農業が可能になるかもしれない。
今は試験的に始めているチューリップ畑がどんどん広がって、砂ばかりだった場所がどこまでも色とりどりの花が咲いた心躍る美しい景色に変わっていく。
そんな今はまだ幻想に過ぎない希望の種、それを男は自分の手で生み出したのです。
男には、もうすぐ生まれる子供がいます。
出産の為に女はサナギのようにくるまれて、ロープで吊り上げられていきました。
驚いたことに、あんなに欲した縄梯子が残っています。
今なら簡単に逃げることが可能です。
しかし、今こそ逃げられるという状況になっても、男は逃げ出すことをしませんでした。
「あわてて逃げ出したりする必要はないのだ」
男は、部落の者たちに、自分の浄水装置のことを話したくて仕方がありません。
「逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである」
流されてどうでも良くなった訳でも、絶望して自暴自棄になった訳でもなく、男は「今は逃げない」ことを自分で選択するのです。
「逃げたいのに逃げられない」から怖かったので、「逃げなくてもいい」と思えばもうそこに恐怖はありません。
一見つまらない日常の作業でも、暮らしに必要なそれをひたすら繰り返すことがすなわち労働であり、生活そのものです。
それをただただ実践し、そこに考案や工夫をプラスすことで充実感を覚え、更なる発明をすることで思いもかけないものを得た。
これが、男が「労働を超える道を見つけた」プロセスだったのではないかと思います。
最後のページに、男が元いた現実世界の家庭裁判所からの法的書類が2枚提示されています。
「男は失踪者と認められ、以後法的には死んだものとみなされる書類」です。
しかし、恐らくは書式的に正しいこの書類が、私には不思議とリアルに感じられません。
むしろ、こちらの現実世界の方が、どこか遠くにある仮想世界の出来事のように思えます。
だって、男は生きています。
むしろ、昔より生き生きと。
希望を見つけて。
そのうちまたあの女が帰ってくる。命がけで生んだ赤ん坊を抱いて男の元に。
男に行水をつかわせることが大好きで、股の間に湯を飛ばしては、体をよじって、きゅうきゅうと笑い声をたてる女。
そんな女と、子供と、例えそこがどこであろうと一緒に暮らせるならば、それは幸せといっていいのではないでしょうか。
胸に希望をもって……より良い未来に向かって、部落のみんなと、浄水装置を大掛かりにする事業を実現させる努力を続けながら日々を送る。
この奇妙な世界で。
そんな男はもう、自分の名前を残すために血道をあげて新種のハンミョウを追い求めることは、しようとも思わないことでしょう。
だって、そんなものはもう男には必要無いのだから。
<以上 文責 ナンブ>
※注
報告の中に、「パラレルワールド」という言葉が使われている部分があります。
当日ご説明させていただいたように、「パラレルワールド」は「平衡世界」のことです。
現実のこの世界が出来るときに分岐がおきて、限りなく酷似したもう一つの世界が違う次元に存在するという概念です。
SFで良くでてくる「パラレルワールド」は、「タイムパラドックス」が起きないための設定で、例えば「タイムトラベルで過去に行ったと思ったら、そこは実は良く似たパラレルワールドだった。だから、過去に干渉しても、自分のいた世界の現在に矛盾が起きるタイムパラドックスは起きない」みたいな感じに使われます。
だから、私個人としては、「砂の女」の部落を、男が元居た場所の「パラレルワールド」や「パラレルワールドみたい」と表現するならば、それには違和感があります。
でも、今回読みなおしてみると、発言者の方の意図は充分理解できますし、その意味では特におかしいと感じさせる部分はないと思ったので、そのままにしてあります。
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