第2回ヒカクテキ古典部「羅城門」報告

728日(日曜日)午後7時半より

 

今昔物語「羅城門」巻第2918

    「太刀帯陣売魚嫗語」巻3131話 

芥川龍之介「羅生門」

 

今回は参加者が5人と、またじわりと増えて、大変嬉しいことでした。

担当者のNjさんが中心となって、今昔物語の「羅城門」と、芥川の「羅生門」を参加者全員で読み比べてみました。

 

まず「羅城門」「羅生門」という名称の違いについて。

これはそもそもは「羅城門」と表記され、「らじょうもん」「らしょうもん」のどちらとも呼ばれていたことから、中世には「羅生門」と表記されるようにもなり、能にも「羅生門」という演目があるそうです。

芥川は、そういう事情から「羅生門」という名称をセレクトしたのだろうということでした。

 

平安京の羅城門は「朱雀大路」の南端に位置する門で、816年に倒壊し、再建されるも980年に再び倒壊し、現存していません。

南北約8メートル、東西約32メートルの二階建て構造のとても大きな楼門だったようです。

この物語の頃には、すっかりと荒廃して崩れかけた様子となっています。

 

「羅城門」の文中にでてくる用語について、図を参考にしながら説明がありました。

 

「頭身の毛も太る」という表現は他にも今昔物語にでてくるそうですが、ぞっとして頭の毛が逆立つ感じを、体感的に「髪が太る」というのは良く分かる気がします。

 

また、「鬼は怖いが、人の霊ならそうでもない」という当時の概念がでてくる参考資料として、「陰陽師」の映画の一部を見ました。

男に恨みを持った女が、男を呪って生なり(鬼)に変化していくシーンで、安倍清明が鬼になった女に驚き慌てるという様が、鬼というものの特別感を表していました。

 

芥川の「羅生門」は、「羅城門」を下敷きにしていながら、より詳しく色鮮やかな脚色がなされており、「さすがだなあ」といううまさがあるというNjさんの感想でした。

 

他の方の感想としては、Haさんの「近代文学の特徴なのではないかと思うけれども、最初と最後の印象深さ、文の美しさが心に残る」ということでした。

 

私の感想としては、「羅城門」では男は最初から「盗人」であるのに対して、芥川の「羅生門」では「下人」であって、その「下人」が「盗人」へと成り代わっていく複雑な心の動きがこの物語の真骨頂ではないかと思いました。

そして、この下人には頬に大きな面皰があり、それをずっと触って気にしているのが、迷っていた気持ちが吹っ切れて、盗人に変貌するシーンでは、面皰から手を放してもう気にもしなくなるという設定が、面白いというか、独特というか、印象深かったです。

 

Njさんの指摘がありましたが、「羅生門」では、老婆を様々な動物に例えています。

猿、猛禽類、鴉、ひきがえる、など。

猿は老いて体が細く縮こまり、しわだらけになった老人を例えるのに良く使われる比喩ですが、確かにニホンザルは赤ん坊でもすでに顔にしわが寄ってて年寄り臭い顔をしています。

対して、下人を動物に例えているのは、猫やヤモリで、いずれも静かに身を潜めている比喩です。

 

私は「南禅寺の門などの階段を参考に考えると、恐らくはこの階段も容易には登れないほどに急なものなのではないかと思われ、そうなるとヤモリのようによじ登る様は、的確な比喩だという気がする」と発言し、しかし、読み直してみると階段ではなくて梯子となっているので、それじゃあよじ登るしかないのは当たり前でした。

勘違いです。

 

芥川が「今昔物語」から「羅生門」に組み込んだもう一つのお話、「太刀帯陣売魚嫗語」ですが、これは蛇の切り身を干して、魚の干したものと偽って検非違使に売りつけて商売をしていた女の話です。

 

「羅城門」では、老婆が鬘にしようと死体から髪を抜く相手は、自分が世話なっていた家のお嬢様となっていますが、「羅生門」ではそれが「蛇を魚だと偽って商売をしていた女の死体」に変わっています。

老婆は、「だから死んで髪を抜かれる目にあっても当然の相手だ」と自分の行為を正当化しようとし、それを聞いた下人が「では俺がお前から盗むのもそれと同じことだ」という理由で、その行為に嫌悪感を抱いていた老婆から衣服や抜いた髪を強奪します。

 

私は、人が犯罪を犯すことに、「飢えている」などの原始的な欲望ではなく「自分なりの正当性」が必要としたところが近代的だと感じます。

 

それと、好き嫌いでいえば、「羅城門」の方が好きです。

生きていた時は大切なお嬢様であった人の髪を抜く方が、どうしようもなく荒んだ都の状況が生々しく感じられるし、いざとなったらそんなことさえ平気でする人間のどうしようもない性が面白いからです。

 

それと、以前の読書会の「マチネの終わりに」の回で、作者が作品の中に登場することについて「それはいつ頃始まったのか」という話題が出た時、全くいい加減に「近代文学からじゃないか?結構流行ったという気がする、例えば芥川とか」と発言したので、この「羅生門」にも「作者はさっき、『下人が・・・』と書いた」といきなり作者が登場するのを確認できて、少し安心しました。

 

ところで、Saさんが「こういうお話を高校の教科書に載せていて、先生方はどんな風に教えているんだろう。生きていくために泥棒するのは仕方のないことなのか、それともやっぱりどんな状況でもいけないことなのか・・・難しいよね。」と疑問を出されました。

そこから、昔の小説に描かれていることと、現代の倫理観などには齟齬ができつつあるという話題や、新しい小説ではどのようなものが掲載されているのかという話題になっていきました。

 

そして、Kさんによると、ご自分が高校の時に教科書で読んだものは結末が違っていたそうです。

教科書では、下人はまた盗みをする為に去って行ったというような終わり方で、今回読んだものは「下人の行方は、誰も知らない」と終わっているとのこと。

Njさんは、芥川が結末を書き直していると説明していました。

 

そこで、ちょっと調べてみました。

どうやら、ラストは2回改稿されていて、3つのバージョンがあるようです。

 

1915年(大正4年)初出時の最後の一文はこうでした。

「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」

 

1917年(大正6年)短編集『羅生門』(阿蘭陀書房)に収録された際には、以下のように改められます。

「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」

 

1918年(大正7年)短編集『鼻』(春陽堂)に収録された際に、現在の形へと変更されました。

「下人の行方は、誰も知らない。」

 

2つと、最後のものでは、大きく印象が違っています。

最後のものでは、迷いに迷った結果、ふと踏み越えて盗人となった下人が、以後も盗みをするのかどうかは不明です。

また、「誰も知らない」とすることで、読者に余韻を与えます。

 

それと、読書会では言い忘れたのですが、作者が登場して下人の心情を解説する時にSentimentalismeと形容しているのが、ちょっと気障でこじゃれていますが、こういう英語を取り入れた表現は、外国の言葉とその概念がどんどん新しく入ってくるようになっていた時代独特のものであるのだろうと思います。

 

ということで、他にも色々と楽しくおしゃべりしましたが、こんな感じで今回は終了。

 

次は、825日。

「平家物語」から「敦盛」とあとなにかやります。

私が適当に何か用意してまいります。

 

そして、Kさんから「夏向きの怖い話」をリクエストいただいたので、上田秋成の「雨月物語」を提案しました。

それはまた後日やろうと思います。

 
ゆるゆるのんびりとどこに向かうか分からない「ヒカクテキ古典部」ですが、Njさんがおっしゃるように「古典を読むと色々と広がる」ので、みんなで楽しく航海を続けていけたらなと思います。

<文責 ナンブ>

 

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