カテゴリー: お知らせ

  • 第4回ヒカクテキ古典部(雨月物語)のお誘い

    9月29日午後7時半より
    上田秋成の「雨月物語」

    いずれ劣らぬ9篇の中から、どれか一つを選んでやります。

    単なる奇譚集と思うなかれ。
    上田秋成とは何者か?その謎に迫れる・・・かは全く未定です(たぶん無理)。

    決して大した教養がつくわけでもないけれども、いつも通りに、気楽に楽しみましょう!
    事前の準備は不要です、丸腰で安心していらしてくださいね。


    zoomはこちら↓

    https://us06web.zoom.us/j/6751269405?pwd=gQxriXgpkKDR2t9dhQsQkQYPzEdIeI.1&omn=81046641379 
    ミーティング ID: 675 126 9405 パスコード: hikakuteki


  • 第16回ヒカクテキ読書会「正欲」のお誘い

    9月はお休み。
    次回は10月13日夜7時半からですので、お間違えないように。

    朝井リョウの「正欲」です。
    若い作家の人のも読んでみようの回です。

    第34回柴田錬三郎賞受賞。
    第3回読者による文学賞受賞。
    2022年本屋大賞ノミネート。
    累計発行部数は2023年10月の段階で50万部を超えていたベストセラー。
    2023年には映画化されました。

    お楽しみに!

    読んでも読まなくても、飲み物片手にお気軽にのぞいてみてください。

    ↓zoomは以下です

    https://us06web.zoom.us/j/6751269405?pwd=gQxriXgpkKDR2t9dhQsQkQYPzEdIeI.1&omn=83325022472

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  • 第15回ヒカクテキ読書会「ドライブ・マイ・カー」報告

    好きな人は好き、わからない人はわからない。
    わからないから好きな人は何にひかれているのか知りたくても、なんだかやっぱりわからない。

    でも、表現は上手いとぐっとこぶしを握る部分もあって・・・。

    楽しく話してるけど、川の水に浮いてぷかぷか流れているような、そんな回でした。

    ただひとつ、村上春樹さん・・・もしくは、主人公の家福さんと言ってもいいですが、ちょっと女のことわかっていなさすぎじゃないですか?

    あと、家福という名前なのに、家庭が幸福じゃないところ、なんか意図があるんでしょうか?

    <文責 ナンブ>

  • 令和6年度 第三回熊大比較文学研究室同窓会のお知らせ

    猛暑が続き、厳しい毎日が続いていておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
    卒業生の皆様におかれましては、ますますご健勝のことと存じます。

    さて、皆様のおかげをもちまして、来る10月6日(日曜日)に、令和6年度第三回熊大比文研究室同窓会を開く運びとなりました。
    今回は、全ての方にZOOMでご参加いただく形での開催となります。
    有難いことに、ご講演をいただく溝渕園子先生をはじめ、西成彦先生、西槇偉先生もご参加くださる予定です。

    限られた時間の中ながら、心のこもった、なごやかな会になればと思っております。

    会としては、大切な2つのことをメインに予定しています。
    ひとつは、熊本大学文学部名誉教授でいらっしゃいました、金原理先生の追悼です。
    金原先生は、かねてから御病気のため療養なさっていましたが、大変惜しまれながら昨年の10月20日にご逝去なさいました。
    熊大比較文学コースの生みの親である金原先生にいただいたご恩は大きく、またそのお人柄から皆に敬愛される方でいらっしゃいました。
    再会を果たせずに残念に思われている方も多いのではと推測いたします。
    心より哀悼の意をこめて、お元気でいらっしゃった頃の金原先生を追悼したいと思います。

    もうひとつは、溝渕園子先生のご講話と、先生を囲んでみんなでお話しする時間です。
    溝渕先生は、現在、広島大学大学院人間社会科学研究科の教授でいらっしゃいます。
    1999年から2007年まで、熊大比較文学研究室で教鞭をとられ、お世話になった卒業生の方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。
    ご専門のお話しや、熊本時代の懐かしいお話なども聞けるのではないかと、楽しみにしております。
    お忙しい中、ご講演を快くお引き受けくださった溝渕先生には、心より感謝申し上げます。

    出欠の返信は、8月末日までに以下のGoogleフォームよりお願いいたします。
    出席いただく方だけでなく、欠席の方にもお返事をいただけると幸いです。
    zoomですので、急な予定変更などは全くかまいません。
    可能な時間だけのご参加も、歓迎いたします

    ※熊大比文研究室同窓会申し込み – Google フォーム

    https://docs.google.com/forms/d/16OF-h4vuG2W3lbB2zggNCfmU89lHgrquXREyF5kM9sU/edit

    また、公式サイトに金原先生の追悼ページを掲載する予定です。
    つきましては、みなさまにお願いです。
    「金原先生を偲ぶ言葉や思い出のエピソード」をお寄せください。
    短くてもかまいませんし、ご希望ならイニシャルで掲載いたしますので、よろしくお願いいたします。
    こちらは、出来ましたら8月の末日の締め切らせていただきたいと思います。以下のメアドにメール添付でお待ちしております。

    ※熊大比較文学同窓会メール

    kumadaihibun@gmail.com

    努力しておりますが、なかなか卒業生全ての方には連絡が行き渡っておりません。
    お知り合いの方にも、このメールを転送するなどしてお誘い下されば幸いです。

    zoomのアドレス等は以下になります。

    https://us06web.zoom.us/j/83100482719?pwd=qno72CMExK1vU4ms3FK5cwabdWVV97.1

    ミーティング ID: 831 0048 2719
    パスコード: 950184

    それでは、みなさまにお会いできるのを心より楽しみにしております。

    同窓会幹事代表 中島哲哉

    kuma

  • 第3回ヒカクテキ古典部「平家物語」のお誘い

    8月25日(日曜日)午後7時半より

    「平家物語」より「敦盛」と、時間があったら「実盛」

    今後はなるべく月に一回やって参りますので、よろしくお願いいたします。

    とはいえ、まだまだフラフラの暗夜行路なのは変わらず。
    でも、みんなで読むときっと楽しい!

    「平家物語」には、お話しがとても沢山入っているので、まずは有名どころから。
    特に準備はいりませんので、丸腰でお気軽にどうぞ!

  • 第14回ヒカクテキ読書会「変身」報告その1

    721日 夜7時半より

    カフカ「変身」

    **************************************************************

     

    Nam(私です)

    最初に確認したいんだけど、これ翻訳がいっぱいあるみたいなんだけど、みんなは誰の翻訳で読みましたか?

    (高橋義孝、城山義彦、原田義人、丘沢静也とみんなバラバラでした)

    じゃあ、ひょとしたらちょっとずつみんなそれぞれ印象が違うかもしれないけど、それ前提でいきましょうか。

     

    Njさん

    久しぶりに読んで、なんか全然印象が違っていた。昔は人が起きたら毒虫に変わっているというところにポイントがあったんですけど、今回はむしろ周りの家族の反応の方がとても気になった。たぶん歳を取ったせいかな。みなさんも経験があると思うんだけど、自分の身の周りに老いた年寄りとか、段々体が自分のいうことをきかなくなったりとか、ちょっと自分が今そういう時期でもあって、まあそういうこととか、語弊があるかもしれないですけど、例えば自分の家の中に障がい者がいるとか、とても凶悪な息子がいるとか、もしもそういう人が読んだら全然比喩として読めちゃうだろうなあ・・・と思いましたね。

    後はなんか、妹の最後の「これはお兄さんじゃないわ!」っていうとこ、ぐっときたというか、新しい何かに入っていく・・・そういう印象でした。

     

    Saさん

    私が読んだ訳だと3章に分かれていて、1章目と2章目は一人称、グレゴールの視点で語られていて、3章ってほんとに虫になって最後には亡くなってしまう、死んでしまう、っていうのは三人称で書かれていたんですよ。

    確かに私も家族のことが、どちらかっていうと主人公よりも周りの家族の再生が書かれている本なのかなあ・・・って感じました。

    毒虫に変わったのは、比喩っていうか、Njくんも言ったように障がい者とか、寝たきりの年老いた両親とかを抱えた人たちにとっては、ちょっと身につまされる思いがするのかな・・・って思いながら読みました。

     

    Kさん

    自分も毒虫になるところしか知らなくて、今回初めて読んだんですけど、なんか思ってたのと違った・・・っていうのと、あんまり主人公にとって希望のある終わり方でなかったので、それが最終的に救われるのを期待していたので、結局虫のまんま死ぬんかい!っていうのと、あとこれは、変身する前は主人公が家族を支えていたのに、最終的には主人公がいなくなって家族はハッピー!みたいな終わり方をしていたのが、なかなかシビアというかね、残酷な感じがして・・・でも、読んで面白かったのは面白かったです。

     

    Haさん

    めちゃめちゃ久しぶりに読んで、昔・・・若い時は「なんて酷い家族なんだ!」って思って、最後に「この娘にお婿さんを」みたいな、なんてことを!って思ったんですけど、例えばNjさんがおっしゃったように、病気の方がいるとか、老人がとか認知症の方がいるご家庭とかで、こんな風に思うんかなあ・・・っていう感じがちょっとしたんですね。

    たまたまこの間、「認知症」っていう言葉を初めて使った・・・「痴呆症」を「認知症」って変えたお医者さんのドキュメントがあって、その方が認知症になったんですよ。
    そのお医者さんが、その姿を撮影して欲しい、役に立って欲しい、ってことで、23分のダイジェスト版だったんですけど、「認知症になられて何が違いますか?」という質問に「なんにも変わらない」っておっしゃったんですよね。「私としてはなんにも変わらない」、そして後でインタビュアーの方が「本人は変わらないけど、周りの人が変わるんだなあ」ってことをおっしゃっていて、それがこれかな・・・と思って読んだんですよね。

    結局この人って、こんなに酷い扱いされてるのに、全く恨んでないでしょう?

    最後の最後まで、死ぬことがみんなの幸せなんだ、みたいな深い感謝をもって死んでるんで、神様みたいな人だなあって思って。この人神じゃない?って思って。

    なので、すごい人なんですけど・・・なんか、うーん、ちょっと不条理っていったら不条理なんですけど、何も変わらずに、自分は変わってないんですけど、何かの障がいを得たりすると、周りはこんな風に変わるんだなあ・・・って。

    でも、自分の中では希望をもって、最後までいくっていう、信仰的な話なのかなあ・・・って、ちょっとだけ思いました。

     

    Hさん

    私は最初は朝起きたら虫になってた訳なんだけど、虫になりたいからなったんだろうな・・ってちょっと思ったんだよね。

    っていうのも、要するに、仕事に行きたくないとか、学校に行きたくないっていうのも近いのかもしれないけど、自分がしたくない、なんかもうとっても何かしたくないから、虫になればもうしなくて済む、誰に対しても虫だからできないという正当な理由付けができるから、この小説の中では虫ってことになっているんだけど、仕事にもうどうしても行きたくないとか、今まで家族の借金を返すために少しずつ少しずつ無理をして、たまりにたまっていた何かが、虫になればもうそれをしなくて済む・・・。

    例えば学校に行きたくないとか、そいうのも虫になれば正当な理由付けが、誰でも「じゃあ仕方がない」、自分に対しても「行こうとしてるんだけど虫になっているから体の自由がきかなくて仕方がない」、で、家族ももう「行くも行かないも、もうその部屋にいるしかない」っていう・・・。

    そもそもは、自分の願望で、なりたくてなったのかなあ・・・っていう気が最初の方はしていて、やっぱりそこを通りこしたら可哀そうで、っていうのも、自分で願って虫になったにも関わらず、なんとか今の状況を抜け出そうと試みたりもがいたり、色んな事をしてなんとか打開しようとするあたりが、なんとも可哀そうな感じがしました。

    で、確かに障がい者とか、体がきかない高齢者とか、色んな見方があるとは思うんだけど、ちょっと今風にいえば「ひきこもり」的な感じなのかなあ・・・っていう風に思ったかなあ。

    で、なんかちょっと分かるっていうか、ただ何かをしたくないとか、どこかに行きたくないっていったんでは、やはり自分にも言い訳がたたないし、、周りも許してくれない・・・けど、虫になってしまえばもう「できないってことにすごく説得力がある」っていうか、誰しも何かをしたくない時ってあると思うんだけど、その時の対処法として、この人は虫になっちゃった・・・まあ、人それぞれいろんな対処法があると思うんだけど、ちょっと私は「ひきこもり」に似てるかなあ・・・って思いました。

     

    Nam

    何を言っていいんだかいまひとつ分からないのと、細かい部分をと思うとやっぱりこういう「翻訳もの」ってどこまでこの文章にこだわって読み込んでいいのかがちょっと戸惑ってしまって、名前からして私が読んだものでは「グレーゴル」なんですよ。
    この高橋さんだけがそうで、割と他の翻訳では「グレゴール」でしょ?

    あと、翻訳の話になっちゃうんだけど、この高橋さんがこれをだしたのが昭和27年、だから1952年なんだけど、けっこう今まで読んできた太宰とか、その辺の言葉の古さがあるんですよ、この訳。

    例えば、「ひっそり」のことを「ひっそり」に「閑散の閑」をつけて「ひっそり閑」とか、「アーモンド」のことを「巴旦杏(はたんきょう)」とか書いたり、そういう言葉の古さと、独特の堅苦しさが文章にあって、ちょっと読みやすい文ではなかったんだよ、砕けた所が無くて。

    でも、その分、堅苦しいからこその滑稽味みたいなものはこれにはあって、もちろん全然悪い訳ではなく、いい訳だと思うんだけど、私は本当に翻訳ものって「どこまで信じていいの?この文章を」って思っちゃうんだよね。

    これ、もともとはドイツ語だよね?書かれたのは。

    で、他の人の翻訳はどうなんだろう?と思って、ちょっと見てみたら、多和田葉子さんが最近翻訳してて、そうなると、この高橋さんのとは全くの別物の小説のような訳になってるみたいなんだよね。

    で、まあ、これで読んだから、これで話をするんだけど・・・。

     

    私はやっぱり「虫!」(笑)

    虫にこだわちゃってて、前回のカフカの時にどんな虫かって話があって、蜘蛛だとか甲虫だとかゴキブリみたいなのとか天井を這えるような虫だとか・・・だから一体これは文章からどんな虫が浮かび上がってくるんだろうかと思ってみてたら、横向きに寝たいんだけど横向きになれないとかさ、お腹にかかっている布団が滑り落ちるようなお腹だとか、お腹が膨らんでて横向きに線がいくつもあるとか、手が細くて何本もあるとか・・・これね、後ろの解説にはムカデって書いてあるんだけど、私は最初の方はどうしても何かの甲虫、頭が小さくてお腹がでっかい「シデ虫」みたいな甲虫を思い浮かべて読んでたら、途中から部屋に入ったら方向転換したいのにそれがままならない、わちゃわちゃ手足が好き放題に動いて制御出来なくて方向転換がままならないとかなってて、そしたらもっと節足動物みたいに足が多いのかなとか・・・。

    結局、読んでて結論がでなかったの。これを読んだ印象では。

     

    で、お父さんにリンゴを投げられたらリンゴが背中にはまっちゃって(笑)、結局死ぬまでそのリンゴが取れなかった。

    となると、私の思った「シデ虫」ではたぶんない?

    どういう虫をカフカがイメージしてたのかは分からないけど、私は最後まで結論が出なかった。

    「背中にリンゴがはまる虫?」(笑)

     

    Hさん

    そこが、私もどんな状態なのかなあって(笑)

     

    Nam

    思うよね?(笑)

    しかも、哀しいことに最後までリンゴが取れなくって、死ぬときも背中にリンゴがさ・・・干からびたリンゴが背中に埋まったまんま、そのリンゴが、部屋を掃除してもらえないからそこらじゅうがほこりとか髪の毛とかですごいことになってて、ほこりをかぶって、干からびたリンゴを背中に埋め込んだまんま、体が動かなくなって死んでいく・・・っていう、こんな哀しい死に方があるのかっていう死に方するんだよね。

    どの解説を読んでも、父親が投げつけたリンゴが原因で、その傷が炎症を起こして衰弱して死んでいくって書いてある。

    にしては、父親は「力なく放っている」んだよね。   

     

    Hさん

    殺す意図はなかったんだろうけどね。

     

    Nam

    彼はさ、虫になるじゃん?

    で、背中が鎧の方に固くって、虫になったんだからさ、そこから「俺のターン」ってなってもいいじゃん?

    「俺、強靭な虫の体手に入れたよ」って。

    だけどさ、彼の虫の体はものすごく傷つきやすいんだよ。
    しかも、虫の体を全く制御出来なくて、最初は声をだしてしゃべれるんだけど、声をだしたらピーピーいう声がダブルでかぶさってきて、次の日くらいにはもうしゃべれなくなっていく。
    で、ドアにぶつけては、足が傷つき、もうやたら弱いんだよ。でっかい虫の割には。

    なんとも哀しい虫なんだよね。

     

    あのさ、「虫の目」っていうカメラがあって、色んな虫を撮影して、虫を等身大パネルにして展示会する写真家の人がいる。

    ところがさ、バッタでもカマキリでもなんでも、虫を巨大化した瞬間に、虫ってものすごく強靭で恐ろしいものになるのよ、虫って。

    「あー、指先サイズで良かった」って思うんだけど、こんだけ巨大だったら、カマキリのカマひとつで、人間なんてざっくりやられちゃう。

    だから、本来は大きくなったら虫の体って本当に強靭なものになるはずなんだよ。

    なのにさ、このザムザときたら、本当に哀しいくらいに脆弱な虫?(笑)

    なんかさ、虫好きな私からしたら「なんなんだよ、これ!」と思って。
    せっかくおっきな虫になったのに、この傷つきやすさときたら・・・。

     

    で、これさ、カフカを感じるよね。このザムザに。

    この家ってさ、ザムザがいたから経済が回ってるっていう稼ぎ頭で、本当に辛い仕事を必死で頑張って、でも家族は最初は給料を出したら感謝して喜んでいたのが、だんだんと有難みも薄れて、家族は感謝することもなくなっていた、そんな中で必死に働いてたんだよねザムザは、そして妹を音楽学校にやってやろう、もうちょっと自分が頑張ればそれも夢ではない、クリスマスにそう言って喜ばせてやろうと思っていて、それを励みに涙ぐましいほど家族のために尽くしてきた男が、いざ虫になって金稼げなくなった瞬間のこの家族の冷たさ!(笑)

     

    Hさん

    色んなことがね、感謝じゃなくて段々と当たり前のことになってきてしまうっていうのは、家族にありがちなことかなあ。

     

    Nam

    にしてもさ、凄い扱い(笑)

    妹も最初は好物の「ミルクパン粥」を作って、ザムザは虫だから食べられないんだけど、そしたら次は色んなものを置いてみて「お兄ちゃん何なら食べられるの?」ってやってたのが、そのうちに食べれような食べられなかろうが、何でもいいようなものを足で部屋に蹴りこんでる。

    口をつけなくても気にもしないで箒で吐き出して片付けるって、食べ物を与えるような態度じゃなくなっていく。

     

    ほんとにさ、このザムザの哀しさ・・・。

     

    なのに、他の人も言ったように、もうちょっと虫になったらショックを受けたっていいようなもんなんだけど、意外とさ、自分が虫になったこと自体にはそんなに衝撃を受けてないよね、この話の中でさ。

    ただ、最初は虫になったとはいいながら、6時半だっけ?電車に乗れなかっらから、次の電車には乗らなくっちゃとか、普通ありえないじゃん、自分が巨大な虫になったら、なのに「はい、じゃあ次の電車に乗って仕事場に行こう」とか、思ってるところがすごく面白いんだよね。

     

    Hさん

    そこがまあ、「仕事人間」的なところなのかなあ。

     

    Nam

    不思議な面白さがあるよね?

    なんかさ、滑稽なところも沢山あるんだけども、やっぱりさ、この悲哀、ザムザの悲哀が胸に迫ってくる・・・(笑)

    でも、最後、本人はそんなに辛くもなく、なんか当たり前のように、安寧の中に行くように死んでいくんだよね。

     

    Hさん

    結局、家族の為ばかりに生きて、自分を生きていないような感じは少しするかなあ。

     

    Nam

    そうなんだよね。

    でも、面白いのはさ。

    壁に女の人の絵を飾っていて、雑誌から切り抜いた肖像画を、わざわざ手作りの素敵な額に入れてさ、飾ってるじゃん。

    でさ、家族がさ、うちの中の色んなものを、家具とかをさ、ザムザから奪い取ろうとした時にさ、もうさ、「この絵だけは持っていかせん!」ってしがみつくじゃん。

     

    Njさん

    そここだわるか(笑)

     

    Hさん

    そこだけは自分を出したよね!(笑)

     

    Njさん

    そこイレギュラーな感じがした(笑)

     

    Nam

    雑誌から切り抜いた絵だから、たぶんたいした絵じゃないんだけど、なんかザムザにとっては琴線に触れうような女の人だったんだよね。その女の人に執着するところ、なんか哀しいよね。

    なんかちょっと好きだった風な女の人がいたようなことが書いてあるんだけど、もう虫になっちゃったらその人との親交も望めない・・・そんな状況の中、好みの女の人に執着して、虫になった彼がしがみついてるとか、滑稽なような哀しいような。何とも言えない。

     

    Hさん

    虫になってる間にね、自分が虫になったことをに対して悲嘆にくれるというよりも、やっぱり家族の心配ばかりしているところが、自分のもうちょっとね・・・どうなんだろうね。

     

    Nam

    妹のバイオリン。妹が内職しなきゃいけなくなって、バイオリン弾くこともなくなっていたのが、ある日下宿人3人置くことになって、その下宿人の前で弾くじゃない。でも、そのバイオリンの音色がどんなに素晴らしいか分かっているのはザムザだけ、下宿人はもう飽き飽きしちゃって早く終わらないかなと煙草吸ったりしてるのに、ザムザはさ、妹のバイオリンに心打たれて、思わず這い出して、部屋に行くとことかも切ないよね。

     

    まとまりもつかないけど、なんか美しいような、哀しいような・・・でも、死ぬところはさ、哀しいと言えば哀しいんだけど、そんなに苦しまずにね、本人もなんかもう納得した感じで。

     

    Saさん

    なんか家族が、段々逞しくなっていくじゃない?
    お父さんなんて、最初は全然グレゴールが働いていたころは動くことも出来なかったような感じだったのに元気になっていく、それちょっとグレゴールにとっては寂しかったのかなあって感じる。

    自分の存在意義がなくなってきたっていうか。

     

    Hさん

    ちょっと家族の為に生き過ぎちゃってるのかなあ。

     

    Saさん

    そう、お互いに依存し合っていたって感じだよね。

     

    Nam

    これさ、白髪のお手伝いの婆さんみたいな人出てくるじゃん(笑)

     

    Kさん

    その人めっちゃ好きです。いやあ、タフでいいわ(笑)

     

    Nam

    なんか「馬糞虫ちゃん」とか書いてあるんだけど、グレゴールのこと全然怖がらずに、からかってさ。
    「はいはい、こっちにおいで、馬糞虫ちゃん」とか言って、この婆さんね(笑)

     

    Kさん

    いやあ・・・いいキャラですわ(笑)

     

    Nam

    最後、すごくない?(笑)

    「もう死体のことは心配しないで、あたし片付けたから(ハート)」みたいにさ。

    私さ、等身大の虫の死骸をどうやって片付けたんだろうって思って(笑)

    もうさ、痩せちゃってさ、食べ物食べてないから、死んだ時は干からびたみたいにぺっちゃんこになってたじゃん。

    虫ってさ?ご飯食べないと痩せるのかな?あんまり痩せた虫って見たことないんだけど。

     

    Kさん

    確かに(笑)

     

    Hさん

    でもさ、繊細なグレゴールが死んで、逞しくなった家族と、そのお婆さんはしっかり生き延びてるっていう(笑)

     

    Nam

    そうなんだよね、妹しかもグレゴールの死体を見たら「まあ、なんて痩せてるんでしょう!確かにずいぶん長いこと食べ物食べてなかったからね」みたいなこと言っちゃって。

     

    Hさん

    なんかほんと、悲哀というか、何ともいえないね。

     

    Nam

    意外とこのお母さん?
    ザムザみると「きゃー!」とか言って失神しちゃうんだけど、でも意外とちょっとやっぱり母親だから、ちょっとだけ優しいんだよね。

     

    Hさん

    一番優しい。

     

    Nam

    自分の息子が虫になったことを受け止められてるのか、やっぱりそこは切り離して、今までの記憶の息子だけを見ているのか、そこは分からないけれども、少なくともちょっと優しいし、お父さんをとめて命乞いをしたり、お医者を呼ぼうとしたり、お母さんだけはちょっと優しい。

    でも、グレゴールを見ると失神しちゃうんだけど(笑)

     

    Hさん

    家具をどかすのを反対したりね。戻った時のことを考えて。

    なんか変身するって、なんかあるのかな?

    結局虫に変身して、タイトルも「変身」ってついてるんだけど、変身するってなんかのメタファーっていうか、全然しらないんだけど、流れをたどって行ったら変身の系譜ってあるのかな?

     

    Nam

    メタモルフォーゼものって、絶対あるよね?

     

    Hさん

    何か象徴みたいなものとかあるんですかね?

     

    Nam

    どうかな・・・でも変身願望っていうのは、誰にでもあるものだかな、とは思うんだよね。

     

    Kさん

    変身したいですか?みなさん

     

    (ここから個別の変身願望の話・・・にはならなくて、ハロウィンとか戦隊ものとかプリキュアとかの話に)

     

    Hさん

    何故この人は虫になって・・・?だから虫になれば社会的なことは何もしなくてすむ・・・。

     

    Njさん

    何故虫なのかなあ・・・って・・・。

     

    Nam

    どうなんだろうねえ・・・でも、滑稽な話として書いた部分もあるらしいんだよね。

    だからその・・・「人間」がなるときに・・・ちょっと分かんないけどね・・・じゃあ、「人間」が何かになる時に何になるかって・・・。

    例えばさ、この辺に(頭の上めいっぱいを手で示す)神がいるとしたら、こっちの辺に(下の方めいっぱいを手で示す)虫。

    だから、人間が真ん中辺にいるとしたら、落差が、こっち方向か(上)こっち方向か(下)で、もっともこっち方向で(下側)で変えて面白いというか意外性が強いものって思って虫なんじゃないの?

    だから、虫でも、これってカブトムシじゃないもんね。ヘラクレスオオカブトとかじゃないじゃん。

    「害虫」?

    なんか人に忌み嫌われる虫?っていう感じ?

     

    で、なんかこれ、私うろ覚えなんだけど、多和田葉子さんの翻訳だと「生贄にさえできないような汚れている生き物である虫」そういう意味に訳してある。

    この言語の「虫」に該当する部分は、通常「害虫」とか翻訳するみたいなんだけど、別の意味で「生贄にできないもの」つまり「神にささげるに値しないもの」みたいな意味があるみたいで、それを見つけて翻訳しているみたいなんだけどね。

     だから、「虫(原語)」をどう翻訳するのかは分かんないんだけど、やっぱり「いいものではない」よね。

     

    Kさん

    そう聞くとやっぱり「役立たず」な意味合いが強いのかなって気がします。

     

    Hさん

    一気に生産性が全然ない人になっちゃってるよね。

    だけど、その人が、役立たずみたいになっちゃってるけど、そこをもちろんそのまま言いたかったんじゃないんだろうけど。

     

    Nam

    だから、「害虫」以外には翻訳を読むと「毒虫」って訳してる人もいて、でも、毒虫っていると刺されて痛い虫とか、ムカデとかハチとか蠍とかタランチュラとか、そういうものを思っちゃうんだけど、どうもその、そういう「強さのある虫」じゃないっぽい?

    毒で何かと戦う力を持っている虫ではない感じ。

    だから、何とも戦えない、何の力も持ってない、ただ大きいだけで、役にも立たないし、傷つきやすくって、すぐあちこちダメになる。しかもお腹に、白いつぶつぶができちゃってて、皮膚病なのかダニにたかられてるのか分からないけど、もう最初からダメになっちゃってるんだよね、この虫の体。

    ものすごい哀しい虫。

     

    Hさん

    さっき言ってたみたいに、一番神様とか真逆な位置にある繊細で弱くてみんなから忌み嫌われている虫が、結局は家族を逞しくして、妹も逞しくなり、生き生きとした家族に再生したとしたら、一番下にいた虫が、Haさんが言ったみたいにひっくり返って神様になってた、っていう・・・ことに受け取れる?

     

    Nam

    でも、どうだろう、この逞しくなった家族好き?(笑)

     

    Kさん

    どうだろう、でも主人公に依存してるよりは好きかもしれないです(笑)

     

    Hさん

    私も。

     

    Nam

    これ、たぶん意見が分かれるところだと思うんだけど。

     

    Njさん

    僕はなんか成長した家族だなって。

     

    Hさん

    以前よりは、自分たちで稼いで、自分たちで生活して、自分の足で立ってる感じはする。

     

    Njさん

    「変身」って、ある意味家族の変身とかかも。

    最後の方でさ、「娘がこの日ごろ顔色を悪くしたほどの心配苦労にもかかわらず、美しい豊麗な女に成長しているのにふたりはほとんど同時に気がついた」ってね、突然気が付くんだよね。

     

    Hさん

    やっぱ自立した感じが前よりする。

     

    Nam

    だからこの・・・いつ終わるともしれない面倒を妹は引き受けてやってた訳じゃん。ひょっとしたら一生だったかもしれない、先が見えないんだよね、こういう「もの」が家にいると(笑)

     

    Hさん

    まさにNjくんが言っていたような、西先生が「介護文学」っていってたんだけど。

     

    Nam

    ほんとに、先の見えない世話だからさ、途中で嫌になったって、責められない部分もある・・・。
    で、それを潜り抜けてさ?ほんとに最後、晴れ晴れとこの話は終わってるよね?(笑)

    でさ、最後にNjくんが言ってくれたところでさ、辛い思いをして面倒見てきてさ、今は内職をして暮らしている娘が、はっと気が付いたら美しい豊麗な女に変身しててさ、両親が「なんとうちの娘は美しい女になったことだろう」って気が付いてさ、前にHaさんが言ってたけど、娘に婿を取らせてやろうと・・・。

    いきなり今までの話と雰囲気が変わってさ、前にHaさんがここのこと引用してくれたと思うけど、「若々しい手足をぐっと伸ばした」らさ、「ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証にように映った」と。

     

    娘が健康的で美しく、生き生きとしているその若さと美しさが、夫婦にとってはもう福音のように、新しい希望のように映っている・・・っていうもうこれさ、教会の鐘が「リンゴーン♪」って鳴り響きそうな(笑)

     

    Njさん

    ね、光がさしてね?

     

    Nam

    光がさして、ハレルヤ!みたいな感じで終わってるよね。

     

    Hさん

    ただ、その少し、何ページか前にはさ?

    晴れ晴れとしてるんだけど、いきなり晴れ晴れとした訳ではなくて、「ザムザ夫人は悲しげな微笑を浮かべていた」とかね、「みんな少し泣いた後があった」とかあるんで、そこの段階を経て、晴れ晴れとしたってところはあるんだろうけど。

     

    Nam

    でもさ、みんなでドアの向こうでちょっとだけ泣いてさ?

    でも、出てきたらさ?

    「死体は片付けときました(ハート)」ってあの婆さんが(笑)

    もうさ、うずうずしてるじゃん、言いたくてさ?

     

    Kさん

    うーん、そういうとこも好きやわあ(笑)

     

    Nam

    ね?いいよね?(笑)

    薄笑いを浮かべて戸口に立ってさ、この一家にすばらしいことを告げてやりたいと、その素晴らしいことって何かっていったら・・・「や、あの死体、片付けといたんで。あの汚い虫の死骸、あたし片付けときました」って言いたくてうずうずしてる(笑)

     

    で、それを説明したらさ?

     

    結局、死にました、ちょっと泣きました、でも干からびた死体は片付けました、さっぱりしました・・・と。

    そしたら妹は美しい女になっていましたって・・・。

    ほんとにさ、舞台が転換したみたいにさ、ここで「ケリ」がついちゃってさ、この一家は新しい希望を得て・・・っていう話だよね・・・。

     

    Hさん

    なんかもしかしたら、人が死ぬことって、悲しいことだけじゃないのかもしれないね。

     

    Kさん

    まあ、なんか、次の段階っていう感じで、今の問題が一回終わって・・・っていう気持ちにはなるかなと思いました。

     

    Nam

    これはまさにそうだよね。

    しかもザムザは「やっかいもの」だった訳じゃん、「どう扱っていいのか分からないもの」になっちゃってた。何言ってるのか分かんないし。

    でも、そのやっかいものが片付いた。

     

    Hさん

    確かに、次のステージに移るみたいな意味もあるのかなあ。

     

    Njさん

    やっぱり、家族だったら次に行かざるを得ないっていうかね。

    それがしょうがないというか、健康な、健全なあり方というか。

     

    Kさん

    結局はこの家族は、それまではあんまりぱっとしなかったのに、息子が虫になったことをきっかけに、ある程度の地位とかも得た訳じゃないですか。社会的立場みたいなのも、ってなったら、ますますやっかいものっていうか「こいつがいなければ」感がでてくるんじゃないかと思うですけど・・・。

    今までそいつに養ってもらってたんだよ、って思いますけどね。

     

    Nam

    そこが哀しいんだよね。

     

    Hさん

    ただ、養ってもらっていたことって、割とすぐ忘れちゃうかもしれない(笑)

    例えば自分たちだってさ、一時期は親に養ってもらってた訳じゃない?でも、家族がゆえにそれってやっぱり忘れちゃうかも(笑)

     

    Nam

    これ、何が哀しいってさ、グレゴールはほんとに、色んなことを計画してたんだよね、自分なりに家族に対してさ。計画して、頑張って、家族の為に、家族の為にって、ほんとに色んな計画があったんだよ。

    でもさ、それが独り相撲(笑)

     

    Hさん

    為にと言いながら、為になってなかったのかもしれない。

    家族の為に思って私は頑張ってきました、っていっても、実は為になってなかった部分もあったんだと思う。

     

    Saさん

    ひとりよがりだった。

     

    Njさん

    ある意味、自分の為にやってたみたいな部分もあったみたいなね。

     

    Nam

    でもさ・・・伝わってない。たぶん「グレゴールの思い」が。

    そこが哀しいと思うんだよ、私。

    一生懸命一生懸命やってきて、妹を音楽学校にやってやろうと思って、やったら喜ぶだろうと思って・・・「家族を喜ばせよう」と思ってる彼の気持ちが、全く通じてないっていうのが、とってもグレゴールの哀しいところ。

     

    Hさん

    ただ、親子関係で良くあると思うんだけど、「頼んでは無い」んだよね(笑)

     

    Kさん

    よかれと思ってやってはくれているんですよね(笑)

     

    Hさん

    妹の為を思って色々やってるんだけど、妹もそれを頼んではないから、そこがなんというか、よくある「為を思って」っていうのがひとりよがりなところもあったのかもしれない。

     

    Nam

    これさ、「季節のない街」っていうドラマのあのさあ・・・。

     

    Saさん

    私もね、すごい思った。

     

    (「季節のない街」は、宮藤勘九郎の脚本のドラマ。山本周五郎原作。黒沢明の映画「どですかでん」のリメイク。そこにでてくる母親を思って懸命に金を貯めようと頑張る次男が、母親には全くその思いが通じなくて、むしろ嫌われてどうしようもなく辛くせつない思いをするという回があって、その次男がザムザとオーバーラップするという話)

     

    Saさん

    そんな風で、言葉って大事なのかもしれない。

     

    Nam

    グレゴールがさ、2日目くらいにしゃべれなくなっちゃうじゃない?

    そこが哀しいんだよ。

    だから、頭の中で計画してたことがあって、家族に対する思いはあるんだけど、もうそれを伝えるすべがないっていう。

    だから妹を音楽学校にやりたかったんだよ、きっと喜んだはずでしょう?っと、そういう風に思ってたよ、って思っても、もう二度と伝えられない。

    そこがとっても哀しいんだ。

     

    Saさん

    なんか、クリスマスに言おうとしてたんだよね?

    で、「クリスマスはもう過ぎてしまった」みたいなのが・・・。

     

    Kさん

    そうでしたね、あれせつねえ・・・。

     

    Hさん

    あとその、「お母さんお母さん」って、やっとお母さんに会えると思ったシーンもあったよね。やっと会えると思ったんだけど、会えたらけっこう邪険にされたような。

    母親に会うという望みが実現するんだけど、お母さんはそうでもなかったみたいな。

     

    Njさん

    お母さんなんかびっくりしちゃう。

     

    Nam

    グレゴールはさ、声も奪われるんだけど、目も奪われちゃうでしょ?

    視力。

    だから、窓にもたれて外を見てたのにさ、もう目が見えなくなってるから、今まで見れた景色ももう何も見えない。

    だから、視力も無い、言葉も発せられないっていう状態の中で、傷つきやすくてすぐ痛む体、それがさ、最後に耳は聞こえるから、妹のバイオリンだけは彼の心を揺り動かしたんだよね。

    それで、思わず知らず、その部屋に向かっていざりよっていってしまった。

    で、出ていったものだから、最後は死に向かうようなことになってしまうんだけど。

    彼の唯一残っていた人間らしい心が妹のバイオリンで、そのバイオリンの良さを分かっているのは彼だけだったけど、それも妹には分からない。

    だから、彼は何も伝えられない・・・っていう、哀しさがあるんだよね。

     

    Kさん

    話ちょっと変わっちゃうかもしれないんですけど、妹ってほんとにバイオリン上手だったんですかね?

     

    Nam

    そこはそうでもないと思う(笑)

     

    Kさん

    なんか音楽学校に入れるって話しも主人公が言ってるだけだし、妹がそれを望んでたかは分かんないじゃないですか。

     

    Hさん

    望んでるとは書いてないよね。

     

    Kさん

    書いてないんですよ。泊ってる客も別にぱっとしない感じのリアクションだし、実は兄のひいき目で、ちょっと良さげに聞こえてただけなんじゃないかって説が(笑)

     

    Hさん

    妹もその音楽大学に行きたがっていたとは書いてはない・・・。

     

    Kさん

    そうそうそうそう。実は、下手の横好き的な感じでそんなに・・・だったのかなっていうのは、ちょっと思いました。

     

    Hさん

    そんなに裕福な家ではないからね、バイオリンを良いレッスンに通ってしっかりやっているという感じではないよね。

     

    Kさん

    そう、たぶん自己流じゃないですけど、自分で弾けるようになってる感じ、っぽかったので・・・。ってなったら、やっぱり・・・話し合いすれば良かったのに、って思いました(笑)

    人間関係って、やっぱそうなんだな・・・って思いました。

     

    みんな

    確かにね・・・。

     

    Nam

    でもこれ、ちょっと前っていうか、結構前じゃん、書かれたの。

    だから、親子関係っていうのがさ、たぶん今とかなり違う時代(執筆は1912年)だと思うんだよ。

    父親の権威主義がまかり通るような時代、そういう時代の話だし、そういう家族の中でコミュニケーションをとるっていう考え自体が無い時代。

     

    Kさん

    お父さんの言うことは絶対的な?

     

    Nam

    そうそうそう。たぶんね?

    だから、もうちょっと前になって、ヴィクトリア朝時代になっちゃうと、「子供に人権は無い」っていう時代だってあるじゃん。

    だからまあ、時代ももちろんある・・・よね?

    でもこれ、Kさんとかどうか分かんないけど、私くらいの年代だと、まあ、こういう家族関係っていうのは、とっても良く分かる。

    その、フラットじゃないんだよ、全然。家の中に、格差がある(笑)

    あと、「役割分担」が家族の中にとてもはっきりある・・・とかね。だから、お母さんは母親役で、お父さんは父親っていう役でっていう、で、ここは、父親がもう稼げなくなって借金してるから、長男がその役割を代替わりしてる。

     

    Njさん

    当然やるって感じでね。

     

    Kさん

    そう考えると、しょうがない部分もやっぱりあるんですかね?

    お父さんらしい役割を、主人公もやってたって考えると。

     

    Nam

    そうだと思う。

     

    Hさん

    だけども、時代の変わり目まではなくても、それだと家族はこうなるよ・・・じゃないけど、ひとつの結果というか、あれなのかしら。

     

    Njさん

    お父さんも元気になっていって、「やればできるじゃない」ってねえ・・・。

    グレーゴルは思ってるかもしれない(笑)

     

    Hさん

    ちょっと見方を変えると、確かに家のなかに「やっかいもの」がいれば、「役立たず」のようだけど、やっぱりそこを中心に家族が変われるっていうのはあるのかなあ・・・って。

     

    Nam

    だから、異端のものが家族の中にいるから、その周りは団結していくっていう・・・。

    当然ね?

    で、ドアを閉めてひそひそと、家族で彼のことを話すようになる、っていう(笑)

    虫になった彼に皆の視線が行くことで、横が連帯しちゃうっていう。

     

    Hさん

    現状を打開しないといけないから、家族同士で話し合ってね・・・。こう一々どう打開するかって話し合ってね・・・。話し合いをしないといけないから、前よりも話をするようになったのかもしれないね。

     

    Nam

    なんかさ、生産的な話をしてるっていうよりはさ、なんか「噂話」的な?

    「起きてるよ」とか「どうすんのよ」みたいな。

     

    Hさん

    例えばもし家の中にすごく体の不自由なお年寄りがいたとしたら、やっぱり残ってる家族は、対等な関係で協力しあわないと、生活が成り立っていかないから、上下関係じゃなくて、協力関係で進んでいかないとね。

     

    Kさん

    喧嘩してる場合じゃないみたいになりますよね?

     

    Nam

    でもさ、意外とそうでもないっていうかさ・・・そこが悲劇なんだよ(笑)

    見ない人間がでてきちゃうとかさ・・・?

    ここだと、妹が独りでその役割を背負うじゃない?そしていよいよ立ち行かなくなって、爆発しちゃうんだけど。

    ザムザの母親は母親でありながら、何の役割も果たさないじゃん?

    ましてや父親なんて、部屋から出てきたら追い払おうとするだけで、言葉をかけてやるでもなく、全く関わらないよね?

    で、妹だけが背中に役割を背負う。

    だから、決して、ザムザがいることに向かって、協力体制を取っている家族ではない・・・と思うんだけど、まあ、そんなもんだよね?って感じ。

     

    Hさん

    でも、追い出したりはしてないから・・・。

    家族それぞれの内面を描いてる文章ってないから、行動や行為は描いているけど、どんな気持ちだったかとは書いてないから、追い出しては無いから、家族ならではの少しの協力体制はあったのかな・・・って(笑)

     

    Njさん

    なんか家具を動かしたりね(笑)

    お父さんはなんか就職したりね。

     


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  • 第2回ヒカクテキ古典部「羅城門」報告

    728日(日曜日)午後7時半より

     

    今昔物語「羅城門」巻第2918

        「太刀帯陣売魚嫗語」巻3131話 

    芥川龍之介「羅生門」

     

    今回は参加者が5人と、またじわりと増えて、大変嬉しいことでした。

    担当者のNjさんが中心となって、今昔物語の「羅城門」と、芥川の「羅生門」を参加者全員で読み比べてみました。

     

    まず「羅城門」「羅生門」という名称の違いについて。

    これはそもそもは「羅城門」と表記され、「らじょうもん」「らしょうもん」のどちらとも呼ばれていたことから、中世には「羅生門」と表記されるようにもなり、能にも「羅生門」という演目があるそうです。

    芥川は、そういう事情から「羅生門」という名称をセレクトしたのだろうということでした。

     

    平安京の羅城門は「朱雀大路」の南端に位置する門で、816年に倒壊し、再建されるも980年に再び倒壊し、現存していません。

    南北約8メートル、東西約32メートルの二階建て構造のとても大きな楼門だったようです。

    この物語の頃には、すっかりと荒廃して崩れかけた様子となっています。

     

    「羅城門」の文中にでてくる用語について、図を参考にしながら説明がありました。

     

    「頭身の毛も太る」という表現は他にも今昔物語にでてくるそうですが、ぞっとして頭の毛が逆立つ感じを、体感的に「髪が太る」というのは良く分かる気がします。

     

    また、「鬼は怖いが、人の霊ならそうでもない」という当時の概念がでてくる参考資料として、「陰陽師」の映画の一部を見ました。

    男に恨みを持った女が、男を呪って生なり(鬼)に変化していくシーンで、安倍清明が鬼になった女に驚き慌てるという様が、鬼というものの特別感を表していました。

     

    芥川の「羅生門」は、「羅城門」を下敷きにしていながら、より詳しく色鮮やかな脚色がなされており、「さすがだなあ」といううまさがあるというNjさんの感想でした。

     

    他の方の感想としては、Haさんの「近代文学の特徴なのではないかと思うけれども、最初と最後の印象深さ、文の美しさが心に残る」ということでした。

     

    私の感想としては、「羅城門」では男は最初から「盗人」であるのに対して、芥川の「羅生門」では「下人」であって、その「下人」が「盗人」へと成り代わっていく複雑な心の動きがこの物語の真骨頂ではないかと思いました。

    そして、この下人には頬に大きな面皰があり、それをずっと触って気にしているのが、迷っていた気持ちが吹っ切れて、盗人に変貌するシーンでは、面皰から手を放してもう気にもしなくなるという設定が、面白いというか、独特というか、印象深かったです。

     

    Njさんの指摘がありましたが、「羅生門」では、老婆を様々な動物に例えています。

    猿、猛禽類、鴉、ひきがえる、など。

    猿は老いて体が細く縮こまり、しわだらけになった老人を例えるのに良く使われる比喩ですが、確かにニホンザルは赤ん坊でもすでに顔にしわが寄ってて年寄り臭い顔をしています。

    対して、下人を動物に例えているのは、猫やヤモリで、いずれも静かに身を潜めている比喩です。

     

    私は「南禅寺の門などの階段を参考に考えると、恐らくはこの階段も容易には登れないほどに急なものなのではないかと思われ、そうなるとヤモリのようによじ登る様は、的確な比喩だという気がする」と発言し、しかし、読み直してみると階段ではなくて梯子となっているので、それじゃあよじ登るしかないのは当たり前でした。

    勘違いです。

     

    芥川が「今昔物語」から「羅生門」に組み込んだもう一つのお話、「太刀帯陣売魚嫗語」ですが、これは蛇の切り身を干して、魚の干したものと偽って検非違使に売りつけて商売をしていた女の話です。

     

    「羅城門」では、老婆が鬘にしようと死体から髪を抜く相手は、自分が世話なっていた家のお嬢様となっていますが、「羅生門」ではそれが「蛇を魚だと偽って商売をしていた女の死体」に変わっています。

    老婆は、「だから死んで髪を抜かれる目にあっても当然の相手だ」と自分の行為を正当化しようとし、それを聞いた下人が「では俺がお前から盗むのもそれと同じことだ」という理由で、その行為に嫌悪感を抱いていた老婆から衣服や抜いた髪を強奪します。

     

    私は、人が犯罪を犯すことに、「飢えている」などの原始的な欲望ではなく「自分なりの正当性」が必要としたところが近代的だと感じます。

     

    それと、好き嫌いでいえば、「羅城門」の方が好きです。

    生きていた時は大切なお嬢様であった人の髪を抜く方が、どうしようもなく荒んだ都の状況が生々しく感じられるし、いざとなったらそんなことさえ平気でする人間のどうしようもない性が面白いからです。

     

    それと、以前の読書会の「マチネの終わりに」の回で、作者が作品の中に登場することについて「それはいつ頃始まったのか」という話題が出た時、全くいい加減に「近代文学からじゃないか?結構流行ったという気がする、例えば芥川とか」と発言したので、この「羅生門」にも「作者はさっき、『下人が・・・』と書いた」といきなり作者が登場するのを確認できて、少し安心しました。

     

    ところで、Saさんが「こういうお話を高校の教科書に載せていて、先生方はどんな風に教えているんだろう。生きていくために泥棒するのは仕方のないことなのか、それともやっぱりどんな状況でもいけないことなのか・・・難しいよね。」と疑問を出されました。

    そこから、昔の小説に描かれていることと、現代の倫理観などには齟齬ができつつあるという話題や、新しい小説ではどのようなものが掲載されているのかという話題になっていきました。

     

    そして、Kさんによると、ご自分が高校の時に教科書で読んだものは結末が違っていたそうです。

    教科書では、下人はまた盗みをする為に去って行ったというような終わり方で、今回読んだものは「下人の行方は、誰も知らない」と終わっているとのこと。

    Njさんは、芥川が結末を書き直していると説明していました。

     

    そこで、ちょっと調べてみました。

    どうやら、ラストは2回改稿されていて、3つのバージョンがあるようです。

     

    1915年(大正4年)初出時の最後の一文はこうでした。

    「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」

     

    1917年(大正6年)短編集『羅生門』(阿蘭陀書房)に収録された際には、以下のように改められます。

    「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」

     

    1918年(大正7年)短編集『鼻』(春陽堂)に収録された際に、現在の形へと変更されました。

    「下人の行方は、誰も知らない。」

     

    2つと、最後のものでは、大きく印象が違っています。

    最後のものでは、迷いに迷った結果、ふと踏み越えて盗人となった下人が、以後も盗みをするのかどうかは不明です。

    また、「誰も知らない」とすることで、読者に余韻を与えます。

     

    それと、読書会では言い忘れたのですが、作者が登場して下人の心情を解説する時にSentimentalismeと形容しているのが、ちょっと気障でこじゃれていますが、こういう英語を取り入れた表現は、外国の言葉とその概念がどんどん新しく入ってくるようになっていた時代独特のものであるのだろうと思います。

     

    ということで、他にも色々と楽しくおしゃべりしましたが、こんな感じで今回は終了。

     

    次は、825日。

    「平家物語」から「敦盛」とあとなにかやります。

    私が適当に何か用意してまいります。

     

    そして、Kさんから「夏向きの怖い話」をリクエストいただいたので、上田秋成の「雨月物語」を提案しました。

    それはまた後日やろうと思います。

     
    ゆるゆるのんびりとどこに向かうか分からない「ヒカクテキ古典部」ですが、Njさんがおっしゃるように「古典を読むと色々と広がる」ので、みんなで楽しく航海を続けていけたらなと思います。

    <文責 ナンブ>

     

  • 第15回(8月)ヒカクテキ読書会「ドライブ・マイ・カー」のお誘い

    8月18日(日曜日)午後7時半より

    「ドライブ・マイ・カー」(文春文庫『女のいない男たち』収録)
    作者:村上春樹


    いよいよ、というべきでしょうか?
    村上春樹の登場です。

    大好き?
    苦手?

    大メジャーながら、好き嫌いが極端に分かれる作家かもしれません。
    好きなら好きなりに、苦手なら苦手なりに、それが何故なのかをはっきりせるのも面白いかも。



    いつものように、読んでも読まなくてもご参加大歓迎、お好きな飲み物片手にお気軽にご参加お待ちしています。

    zoomは↓

  • 西成彦先生の新刊「カフカ、なまもの」のご紹介

    カフカなまもの

    世界にはびこる、目を背けたくなる現実の数々をそれでも直視するために、カフカをどう読んでいくか。著者が折々に書きついできたカフカ論集成。
    ————————————————
    虫けらを殺すということ(二〇二一~二〇二四)

    カフカが描いた死の諸相
     害虫の生─『変身』
     恥辱死─『訴訟』
     失業者─『失踪者』
     拷問死─『流刑地にて』
     過労死─『城』

    雑種たちの未来
     イディッシュ語を聴くカフカ
     オドラデク/名前の憂鬱
     雑種の死

    カフカと妖術信仰

    『カフカ、なまもの』 松籟社 2024年6月
    松籟社ページ


  • 第14回(7月)ヒカクテキ読書会「変身」のお誘い

    7月21日(日曜日)午後7時半より
    「変身」(カフカ)


    「流刑地にて」で一度取り上げたカフカですが、やはりこれは外せないでしょう、ということで「変身」です。

    前回の時にも「変身」の話がでて、ザムザが変わってしまったのはどんな虫?と皆さんの様々なイメージをお聞きしました。
    この論争にも今回で結論がでてしまうかも?

    それと、最近西先生がカフカについてブログやfacebookで述べられているとの情報もあり、「変身」を読むことでそのご発言の意味もひょっとしたら少しだけ分かるかもしれないと期待している方もいるようです。

    とにかく、絶対面白い、昔読んだ人も新たな発見があるはず、「変身」お楽しみに!

    いつものように、読んでも読まなくてもご参加大歓迎、お好きな飲み物片手にお気軽にご参加お待ちしています。

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