
















世界文学へのまなざし
















〇洛北出版
「1993年の『イメージ・コレクション・シリーズ』(岩波書店)の一冊を、1998年に岩波ライブラリー版として多少増補して出したままになっていた『ラフカディオ・ハーンの耳』の今度は『決定版』を、ハーンの没120年にあたる今年をめがけて出してみようということだった。
洛北出版

〇(日本ユダヤ学会編、編集代表:市川裕、丸善出版)
「私は以下に掲げる『13章:映画・文学・演劇』のなかの『***語圏文学』のあたりの組み立てと執筆者数名の人選と、『16章:記憶と物語』のなかの『ホロコーストと文学』の項目執筆を担当した……」
(複数の胸騒ぎ Uneasinesses in plural by Nishi Masahiko)
丸善出版
ユダヤ文化事典 – 丸善出版 理工・医学・人文社会科学の専門書出版社 (maruzen-publishing.co.jp)
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ユダヤ文化事典 | 日本ユダヤ学会, 市川 裕, 市川 裕 |本 | 通販 | Amazon
〇(平野嘉彦・中澤英雄・西成彦編訳、人文書院)
「マゾッホは、ロシア人やポーランド人よりもウクライナ人(彼は『ルーシの人』と呼ぶ)やユダヤ人に親近感をいだくドイツ語作家だったが、その微妙な力学に敏感な彼であればこそ、いまにもつながるウクライナの『混成性』が彼の眼には見えていた。オーストリアのドイツ語作家だったこととそれがどうつながるのかは、皆さんに判断をゆだねたいが、ひょっとするとドイツやオーストリア、あるいはウクライナ以上といってもよいほど、マゾッホ好きの多い日本で、今度の三冊がどう受け止められるか、楽しみでならない。」
(複数の胸騒ぎ Uneasinesses in plural by Nishi Masahiko)
9月29日午後7時半より
上田秋成の「雨月物語」
いずれ劣らぬ9篇の中から、どれか一つを選んでやります。
単なる奇譚集と思うなかれ。
上田秋成とは何者か?その謎に迫れる・・・かは全く未定です(たぶん無理)。
決して大した教養がつくわけでもないけれども、いつも通りに、気楽に楽しみましょう!
事前の準備は不要です、丸腰で安心していらしてくださいね。
zoomはこちら↓
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金原理先生と熊本大学比較文学研究室
西槇 偉
比較文学研究室の来し方をふりかえってみたのは、2021年初回同窓会開催の準備をした時であった。「そろそろ研究室の総括をする時期ではないか」という示唆を西成彦先生から受け、同年9月に先生の集中講義に合わせて、初回の同窓会を開いた。
金原理先生が中心となり、研究室を創設したのは1982年。同年にポーランド文学の関口時正先生が赴任され、翌年に転出された。84年に西成彦先生がいらして、97年3月まで在職された。その後に、森田直子先生が来られ、また教養部の改革で複数の教員が加わり、金原先生の後任として自分が来た2003年の時点で教員は6名であった。
金原先生が主宰された間の研究室の雰囲気を、残るアルバムや学生研究室の交流ノートによって窺い知れたのは、同窓会準備の一大収穫であった。
写真アルバムがきれいに整理、保管されているのは創設時から西先生が離任する1997年頃までである。同窓会のおりのPPTにそれらの写真を多く収めたが、特に印象的なのは、90.10.19と日付のある1枚。島原の合宿所へ行くフェリーの上、金原先生がスーツ姿で立ち、右横に西先生が手すりに凭れ、左横に男子学生が4名、手すりに乗って座るもの、ぶら下がるもの、思い思いのポーズをしている。手すりの下方に波が白い渦を巻いている。両先生は青春の船を舵取るキャプテンのように見える。
それから、「漱石俳句がるた」という宝物もある。クッキーの空き缶に入っており、蓋に「漱石俳句がるた―比較文学研究室―1996.11作成」との札書きがある。箱のイラストデザインに「YOU ARE MY
TRESURE」とある。読み札は俳句、取り札はイラスト。絵柄は土筆が伸びているところや、椿の木が雪をかぶったところなど、シンプルながら楽し気である。漱石来熊100年記念の年に合わせ、漱石文学と絵画の関わりをコンセプトにした演習の成果だろうか。
初回同窓会に金原先生のご参加はかなわず、録画した画像をお見せすることもできないまま、先生が永眠されたのは残念の一言に尽きる。しかし、同窓会はその後中島哲哉氏を中心にHPを開設し、オンラインで定期的に読書会を開催して、活発に活動している。それだけ、卒業生たちに比較文学の面白さが伝わり、また彼らの絆を強くする教育がなされたということだろう。
1982年は、私が中国から日本に渡った年でもある。比較文学研究室にやはり縁があったのだと思う。いつも温顔で人を包む金原先生に、心より感謝している。

漱石俳句がるた(一部抜粋)

思い出は歌の波に乗って
金原先生は、私にとって最初の上司にあたる先生です。ほやほやの新米教員が次々としでかす失敗を、あのおひさまのように福々しい笑顔でいつも許してくださっていました。日本比較文学会の大会では、九州大学の清水孝純先生と並ぶ「質問マン」の巨頭として、常に先を争うようにして質問に立たれるお姿が印象的でした。
教養豊かで知的好奇心に溢れるお言葉や、人や仕事に対する謙虚なご姿勢から、本当に多くのことを学ばせていただきました。私が熊本大学で自由にのびのびと過ごせたのも、金原先生のおかげに他ならず、あの頃も、そして今も、上司運に恵まれたと心から感謝しております。
金原先生の思い出が波のように押し寄せてきて、懐かしさと寂しさで胸がしめつけられそうになります。とともに、先生の朗々とした歌声が、どこからともなく聞こえてくるのです。金原先生は、二次会のカラオケでよくイタリア民謡の『サンタ・ルチア』を、素敵なビブラートを効かせて歌い上げておられました。先生の陽気な歌声に乗って、ナポリの美しい海辺の光景と、観光客を誘う小舟の船頭の活気に満ちた姿が目に浮かぶようでした。
ご退職の折には、その何か月も前から、「文学部の送別会で、ロシアの『ステンカ・ラージン』を歌いたいんですよ」「二番はね、ロシア語で歌おうと思っていますから、練習の時に聴いていただけますか」と、お会いするたび生き生きと話してくださいました。この歌は、17世紀ロシアの農民反乱の指導者であったコサックのステパン・ラージン(ステンカはステパンの愛称)の伝説にちなんだ勇壮な民謡です。金原先生の美しく響くお声にぴったりの選曲だと思ったことを覚えています。かくして当日、音楽学の木村博子先生のピアノ伴奏で、やや紅潮したお顔に笑みをたたえた先生は「くーおんーにとーどろーく、ヴォールガーのなーがれー(久遠に轟く、ヴォルガの流れ)」と、船の舳先に立つステパン・ラージンのように堂々たる独唱を披露され、大きな拍手を浴びておられました。
ナポリの海を出発した船は、いつしか南ロシアを流れる母なるヴォルガ川へ――。ステパン・ラージンは、貧しい農民やコサックたちによる権力への抵抗の象徴として、さまざまな歌や物語に影響を与えましたが、この歌もその一つです。『ステンカ・ラージン』の歌詞には残酷な面があるものの、全体を通して、自由と冒険心、抗いや友愛、故郷への思いなどが表現されています。熊本大学に比較文学の道を切り拓いてくださった金原先生は、きっと今も自由に知的冒険の旅を楽しみながら、私たちを見守ってくださっていることでしょう。
金原先生、本当にありがとうございました。次にお会いする時は、ぜひ幻の二番をお聴かせください。唱和をお許しいただけるよう、私も音痴をなおしてからまいりますね。
溝渕園子

カラオケで熱唱される在りし日の金原先生

金原先生へ
先生、覚えていらっしゃいますか。
ある日、先生を訪ねられたお客様をご案内すると、その方はお土産を先生に渡してすぐにお帰りになりました。
もの欲しそうな私の視線に気づかれたのか、先生は「ケーキをいただいたから、みんなで食べましょう。研究室に持って行ってください」と、おっしゃいましたね。
両手で箱を抱えて、弾む足取りで階段を降りた私。
研究室のドアを開けると、こんな時に限っていつになく大勢の人の姿が。
「ひいふうみい…9人」
箱の蓋をあけると、そこには素敵なケーキ。いや、焼き菓子?
マーガレットのお花の形の厚みの薄いぺったんこな、こんがりきつね色のケーキが入っていました。
「あれぇ…思ったより小さいな」と少し困った顔の先生。大丈夫ですよ、みんなで食べたらきっと美味しいです。
「ちゃんと公平に分けてね」と笑顔で無理難題を出される先生。いやいや、花びらの形に大きく凸凹している円形を、等分に9つに分けるのは至難の業ですよ。
親指と人差し指で、ちょこんとつまめる一口サイズになったそのケーキは、サクッとしてじゅわっとして、バターたっぷりでアーモンドの香りがして、とってもとっても美味しかったのです。
あんまり美味しくて、それから何十年経っても忘れられなくて、「あのケーキはなんだったんだろうなあ…」ずっとそう思っていたけれども手掛かりはなくて、古い古いお菓子の本に、そっくりなものが『ドイツの焼き菓子』として紹介されたのを見つけただけでした。
それが、今年になって、ひょんなことで見つけたんです。
『マーガレット・ダ・マンド』、九州のとあるお菓子屋さんが、ずっと変わらずに作っていてくれました。
喜んで取り寄せてみたら、間違いない。綺麗なきつね色でぺったんこのマーガレットの形で、箱の中のケーキの絵付きのしおりも見覚えのあるものでした。しおりまで覚えているなんて、不思議ですね。
思わず「これこれ!」と口に出ました。
だけど、いそいそと口に入れたケーキは、記憶の通りにバターとアーモンドの味がして、美味しいけれども、そんなに美味しくなかった。どこか違いました。
ひとりで食べるケーキは、美味しくて、何だかからっぽな味がしましたよ。
そっか、金原せんせいがくださったケーキ、もうあの味には会えないのか。そう分かりました。人を失うって、そういうことですよね。寂しいけど、仕方ないですね。
金原先生は、いつも笑顔で褒めてくださいましたね。
「南部さんのあだ名はSaiなの?Saiのサイは才能の才だね」
「南部さんは才女だから」
「南部さんは、うちのエースだから」
あまりにも自分とはかけ離れた誉め言葉なので、嬉しいとかは全く思えなくて、当時の私はただただ途方にくれるだけでした。
なのに、先生の笑顔と褒めていただいたという記憶は、胸の深いところにいつもいました。
今思うと、「ふっふっふ」と笑ってらしたから、おちゃめな先生にからかわ
れていたのかもしれないけれども、もしそうならそれを真に受けたなんて恥ずかしいんだけれども、それでも何か辛いことをひとりで乗り越えなければいけない時、私はその先生の言葉に、少しだけ背中を支えてもらっていたんだなあ…と、そう思ったりしています。
愚かな子供が、親は病気もしないし死ぬこともないと思ってしまうように、私はどこかで先生にはいつでも会えると思っていました。
在学していた時は、人見知りで自意識が強くて先生にうまく打ち解けることのできなかった私だけど、今度会ったら楽しくお話して、お礼も言って…とか、馬鹿みたいに勝手に考えていたんですよ。
思い出す先生の顔は、ほっぺがピンクでぴかぴかしていて、楽しそうに笑ってらっしゃる。いつもいつも。
それがどんなにすごいことなのか、そして先生のなかにある世界がどんなに豊かなものだったのか、今の私にはよく分ります。
金原先生、先生のことを「きんぱらりん~♪」と呼び始めたのは私です。なんなら調子よく「きんぱ~らりんりん~♪」とかも言っていました。正直、あんなに素早くみんなに定着するとは思いませんでした。
先生が、研究室の本の購入予算をつぎ込んで買われた『敦煌』数十巻。
「南部君、あれ読んだ?『敦煌』。僕ね、開いてもないんだよ…はっはっは、なんであんなもの買っちゃったのかな」と、思わず膝が砕けるようなことをおっしゃってましたが、あの後お読みになりましたか?
あと、後輩が先生に不可をくらったレポート…これはここには書けません。
最近、中島くんと古典を読む読書会を始めました。よちよち歩きの子供みたいな覚束ない読書会だけど、先生、古典っていいですね?読むと世界がひろがりますね?そして、先生がここにいらしたらいいのに…色々お訊ねできるのに…と、先生の講義では居眠りばかりしていたくせに、毎回そう思ってばかりですよ。
先生のご本も読み始めましたよ。こっちは全く歯が立ちません。先生って、いったいどれだけの知識をお持ちなんですか?その知識を軽々と使いこなされて自由自在ですね?圧倒されちゃいます。
あの頃、先生のお父様も高名な学者でいらっしゃって「皆に父親と比べられて困っちゃうんだよ」と頭を掻いていらっしゃいましたが、きっとお父様も先生のことを誇りに思われていることでしょうね。
ケーキはそんなに美味しくはなかったけれど、それでもたまには食べますよ。
そのうちまた、お会い出来ますね?
もしも私のことを忘れていらしたら、その時までに思い出しておいてくださいね。どうぞよろしく。
1985年卒 南部孝子


金原先生の思い出
大学2年の時、関口先生や研究室の皆と屋久島に行きました。
関口先生の発案で先生のジープに乗って、ワイワイと盛り上がりながらの青春旅でした。
出発の朝、何人かの学生と金原先生が盛大に見送ってくださったのを覚えています。
金原先生はいつもの優しい笑顔でした。
その時はまさかわざわざお見送りいただけると思っていなかったので、びっくりした記憶が残っています。
数十年経った今、思うのは、やんちゃな先生と学生との青春旅を少々心配する親心だったのかなと、思います。
いつも、少し離れたところから、比較文学研究室を見守ってくださっていたのでしょう。
ありがたい大きな存在でした。熊大の頃の金原先生の年齢を超えてみてわかることでした。
1985年卒 Y.I.

金原先生の講義を受講していたときの、忘れられない出来事があります。
私は自分でいうのもなんですが真面目な性格なので、学生時代に講義を休んだことは、ほとんどありません。
片手で数えられる程度の回数のなかで、一度、金原先生の授業をお休みしたことがあります。
レポートを書くために、図書館で勉強していたら、時間を忘れてしまったのです。
遅刻して教室に入るのは目立つので、そのまま図書館で授業終わり時間までレポートと格闘しました。
ところが図書館を出たときにばったり、金原先生とお会いしてしまったのです。
生汗かきながら挨拶した私に先生は一言。
「あ、早川くん。次の授業の担当に当てといたから」
もはや生汗は冷や汗に変わりました。
それがたまたま本当に私の順番だったのか、はたまた授業をさぼった罰だったのか、私には知るよしもありません。
謹んでお受けするしかないのです。
翌週、私は準備をして授業に臨みました。
「フランス語で読む源氏物語」の講義でした。
配られたプリントが私の担当です。
前回の授業を受けていないわけなので、続きである文の流れはよくわかりません。
でも、所詮「訳をする」だけです。
1週間辞書と首っ引きで訳したのですから、ある程度完璧なはず。
光源氏が女君を攫うようにして匿う、いわゆるよくある場面でした。
女君は無口だったので、その代わり彼女の気持ちを代弁すべく屋敷の風景を、情感豊かに訳しました。
行間を読むのは得意です!脚色するのも大好きです!
急場しのぎに連れ込んだ(にちがいない)荒れ果てた屋敷、庭には蝉の抜け殻が転がっている、などなど。
その瞬間、金原先生がおっしゃいました。
「あ、早川君、それ『空蝉』。人名だから」
Jesus!
よく見ると、斜体になってるではありませんか!
かくして、私は誓いました。
「授業をさぼるのはやめよう」
金原先生の心の機微をお読みすることはできませんでしたが、それ以降は毎回出席したので、私の誓いはお判り頂けたはず。
今となっては夢か現か、とさえ思える大学時代で、金原先生のこの授業が一番記憶しています。
「思い込みは危険」の人生訓を学びました。
金原先生。
楽しい授業を本当にありがとうございました。
早合点をするたびに、今でもこの出来事を思い出しています。
1992年卒 早川由紀

比較文学科で過ごした大学時代は楽しい思い出ばかりです。
それも先生方や同窓生に恵まれたおかげです。
その比較文学科を設立して下さったのが金原先生で、感謝の言葉しかありません。
金原先生はいつも穏やかでにこやかな笑顔ばかりが思い出されます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
1985年卒 相良尚美

金原先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
私にとって、熊大比文は家族のように温かな存在です。金原先生は、まるで父親のように、私たち生徒を優しく包み込んでくれました。
最近になって、熊大に比文コースが誕生した背景には、金原先生の並々ならぬご尽力があったことを知りました。金原先生は、まさに「熊大比文の父」だったのです。学生時代に感じていた父のような存在という印象が、卒業から四半世紀以上を経て真実のものだったとわかり、深い感動を覚えました。
時を超えた感動には、もう一つ「目次集の教え」というものがあります。
学生時代、金原先生のご指導のもと、比文の全蔵書の目次を分担して書き写し、目次集にまとめるという作業に取り組みました。最初は、時間のかかる単調な作業を面倒に感じていたものです。しかし、いざ論文執筆の段階になると、その目次集が貴重な「検索ツール」になることに気づかされ、その有用性に深く感銘を受けました。
この経験を通して、情報を整理して活用することの大切さや、一つのシステムを作るには時間をかけて地道な作業が必要なことなどを教えていただきました。それは、卒業後のビジネスでも役立ち、大きな仕事を任されたときの支えとなり、二度目の感動をもたらしたのです。
さらに時が経ち、現代では「検索」は日常生活の一部になりました。あのときの目次集が検索を目的としたものであることを思うと、その普遍性や先進性を改めて実感し、三度目の感動として深く心に刻まれました。
金原先生から学んだ多くのことを、これからも人生の糧として大切にしていきたいと思います。金原先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
1990年卒 本田 美奈(旧姓:日高)

金原先生の漢詩の講義で、中国の西湖を模して大濠公園の池が作られてるのでは?とおっしゃっていて、比較文学って、そういう文学的な知識と自分の街の文化を結びつけて新しい発見ができるんだなーと、感動した覚えがあります。
金原先生は、語り口は軽妙で、知識量も豊富な講義を行ってくださって、出席するのは楽しかったけれど、自分の理解力の無さについていくのが精一杯で大変だった記憶です。
比較文学分野の先生は、親しみやすくて、知的で教養豊かなお話をしてくれるばかりで、こんなふうに歳を重ねたいと憧れる方ばかりですが、金原先生はその筆頭だったと思います。
若い頃は上澄だけしか理解できなかった先生の講義を、歳を重ねたいま、改めて受けてみたらどんなに楽しいだろうと、悔しくて寂しくなります。
2005年度卒 森中愛子


社会人になってから10年ほど経ったころ、中国は杭州に出張する機会がありました。
当時、茶関連の仕事をしていたため、浙江省、とりわけ杭州には縁があったのです。
仕事を終えたあと、帰るまでの間に観光することになり、幾つか名所を見て回ったのですが、その中に西湖が含まれていました。
日本の景勝地とは趣の違う、とても美しい風景を見たとき、不意に大学時代の講義の記憶が蘇ってきました。
金原先生の、西湖図を扱った講義です。
大学卒業以来、仕事の忙しさにかまけて、あるいはいっぱしの大人になったふりをして、学生時代など振り返りもしなかったのに、突然にありありと金原先生のお話が思い出されたのは不思議なことでした。
先生がご覧になった風景と同じものを見ていることに感動し、また、取り上げられていた白居易の詩のすがすがしさと相俟って、より美しく目に映った西湖の風景が今も忘れられません。
普段、学生時代に学んだことなど忘れたようにして生きていても、すべて自分の中に根づいて、精神を豊かにしてくれているのだと気付いた瞬間でした。
杭州行の思い出を意義深いものにしてくださった金原先生の教えに改めて感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。
2002年度卒業生 佐野さな子(旧姓:松藤)

金原理「詩歌の表現 平安朝韻文攷」九州大学出版会 (2000年1月10日)
金原先生へ
得意分野も無く好きな作家もいない、どちらかというと不真面目な学生の典型だった自分に対して、金原先生はいつも優しく接して下さいました。時折、呆れながらも笑いながらかけてくださった「しょうがないね、君は。」という言葉が懐かしく思い出されます。
直接お目にかかって感謝の気持ちをお伝えしたかったのですが、今はそれも叶わないのが残念でなりません。
金原先生、いつも笑顔で接して頂き有り難うございました。本当にお世話になりました。先生の御恩は一生忘れません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
平成元年(‘89)卒 竹村雅文

金原先生、こんにちは。私達の声が聞こえていらっしゃる事と思います。そちらでもご研究や画作やフランス語の勉強に勤しんでいらっしゃいますか?先生のこの幅広いご興味と余裕のおかげで、私たちの学生生活はとても彩りのあるものであり続けています。
先生と最初にお会いしたのは、一年生の教養科目漢文学の時間でした。最終試験で課された漢詩の解釈が、大変素晴らしかった、と、私は先生にお褒め頂きました。その後、比較文学講座で再会した時、「え?そうでした?」というオチでしたので、もしかしたらこれは私の妄想、あるいは、先生のサディステックな愛情、だったのかもしれません。いずれにしても、先生のお言葉のおかげで、今も嬉しく誇らしく思っています。
ボードレールを読むフランス語講座をご一緒させて頂いたことも、楽しい思い出です。「処女」と言うのを気恥ずかしく感じて「生娘」と訳した私に、先生が大ウケしたこと、覚えていらっしゃいますか?確かに、謎な言葉のセンスでした。
先生は常に寛大でした。すでに2時30分だったのに、時計を見間違えて1時30分と思い、堂々と教室に入った途端、授業が終わった時、先生は穏やかに「藤原さん、君のような人は、大学の先生になるといいよ」とおっしゃってくださいました。ブランデーをたっっっぷり入れた紅茶を一緒に嗜みつつお話を伺った至福の時が懐かしいです。先生の纏う余裕と寛大さのオーラに私はどっぷりと甘えさせて頂きました。(ブランデーで思い出したのですが、「僕は死の際では、藤原さんの海外土産のブランデーの瓶を枕元で振ってもらってその音を聞くつもりです」とおっしゃっていましたね。甘美な音でしたか?)
「藤原さんの結婚披露宴のスピーチでは、僕はたくさんネタがあるよ」とおっしゃってくださっていたのに、ネタ提供の場をご用意できずに申し訳ございません。
先生のおおらかさと懐の広さのおかげで、私たちは比較文学講座という場で悠々自適に過ごすことができました。本当にどうもありがとうございます。
藤原まみ

金原先生のご逝去を知り、心にぽっかりと穴が空いたようです。四回生の時、レポートが全く書けず、一単位も取れなかった私が、翌年に就職が決まり、形だけでも卒業できたのは、先生のおかげです。自分が所属していたサークルの展示会に来ていただいたこと、サークルの顧問になっていただいたことなど、今でも鮮明に思い出します。推薦文を書いていただいたおかげで就職できた会社をクビになったこと、年賀状をいただいても返事が出せず、次の年になってしまったこと、先生の奥様から手紙の返事をいただいてもそのままだったこと、源氏物語のレポートが提出できなかったことなど、本当に申し訳なく思っています。
卒業の寄せ書きの色紙をしまい無くしてしまいましたが、先生が書いてくださった言葉を調べたところ、「われわれの本性は運動のうちにある。」という言葉と再会しました。老後に向けて、とにかく運動して健康状態が改善できたらと思います。
先生、色々と本当にありがとうございました。金原先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
M.N(1989年卒)

金原先生
日本漢文学を研究されている先生のもとで学びたい。金原先生を目指して熊本へ。そうして漢文学を掘り下げるものと思っていました。
講義は「源氏物語の仏語訳」。うっかり仏教に関するテーマだと思い込んでいたのですが、仏語は仏教語ではなくフランス語……。
気づけば未知のフランス文学講読会。先生は講義の空き時間にも希望者と共に読む時間を設けてくださっており、漢文学者の金原先生がフランス語を自在に操り、音楽的に朗読されている現実は私にとっては夢を見ているようでした。
研究室では台湾、中国、韓国の留学生の方々ともご一緒できました。ゼミで漢詩の音読を中国語で聴かせて頂く機会もあり、その響きも美しいものでした。
このように学問には揺るぎない基礎が必要であること、その世界の広さと深さを体感しました。少人数ゼミでは先生が紅茶をいれてくださることもあり、その香り高い味と温もりは今でも忘れられません。
よくふらりと研究室にもいらして、学生に気さくに声をおかけになり、卒業された先輩方の思い出話もされました。
同窓会が立ち上がったとき、お会いしたことはないけれども先輩方のお名前に聞き覚えがあるのです。先生の語り部の力が、今なおこれからの私達をつないでくださることになるのかもしれません。
ボブ・ディラン、宮沢賢治、どの国の何をどのように研究しても良いという自由な環境。
先生やご学友の語学力、行動力、教養、エネルギーにただ圧倒されるばかりの日々でしたが、そのような場に迷い込み、偏狭だった視野を広げることができました。
年賀状にはお返事をくださいました。花と花瓶、中国の光る河の街、桜島……。先生のお描きになった油絵のお葉書が手元にあります。先生のまなざしを感じます。
学生と共に学び続け、人の輪を創って談笑し、美味しく紅茶をいれてふるまい、返事を書き、絵を描き、フランスパンを購うために散歩する。いつも笑顔で。
先生の暮らしのエッセンスがわずかでもこの身に流れていて、それを誰かに伝えることができたらと願います。
金原先生、たくさんの温かいお時間とお導きを賜りありがとうございました。
上妻真里(旧姓 島田)

金原理先生の描かれた絵(お葉書より3枚抜粋)

9月はお休み。
次回は10月13日夜7時半からですので、お間違えないように。
朝井リョウの「正欲」です。
若い作家の人のも読んでみようの回です。
第34回柴田錬三郎賞受賞。
第3回読者による文学賞受賞。
2022年本屋大賞ノミネート。
累計発行部数は2023年10月の段階で50万部を超えていたベストセラー。
2023年には映画化されました。
お楽しみに!
読んでも読まなくても、飲み物片手にお気軽にのぞいてみてください。
↓zoomは以下です
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好きな人は好き、わからない人はわからない。
わからないから好きな人は何にひかれているのか知りたくても、なんだかやっぱりわからない。
でも、表現は上手いとぐっとこぶしを握る部分もあって・・・。
楽しく話してるけど、川の水に浮いてぷかぷか流れているような、そんな回でした。
ただひとつ、村上春樹さん・・・もしくは、主人公の家福さんと言ってもいいですが、ちょっと女のことわかっていなさすぎじゃないですか?
あと、家福という名前なのに、家庭が幸福じゃないところ、なんか意図があるんでしょうか?
<文責 ナンブ>
猛暑が続き、厳しい毎日が続いていておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
卒業生の皆様におかれましては、ますますご健勝のことと存じます。
さて、皆様のおかげをもちまして、来る10月6日(日曜日)に、令和6年度第三回熊大比文研究室同窓会を開く運びとなりました。
今回は、全ての方にZOOMでご参加いただく形での開催となります。
有難いことに、ご講演をいただく溝渕園子先生をはじめ、西成彦先生、西槇偉先生もご参加くださる予定です。
限られた時間の中ながら、心のこもった、なごやかな会になればと思っております。
会としては、大切な2つのことをメインに予定しています。
ひとつは、熊本大学文学部名誉教授でいらっしゃいました、金原理先生の追悼です。
金原先生は、かねてから御病気のため療養なさっていましたが、大変惜しまれながら昨年の10月20日にご逝去なさいました。
熊大比較文学コースの生みの親である金原先生にいただいたご恩は大きく、またそのお人柄から皆に敬愛される方でいらっしゃいました。
再会を果たせずに残念に思われている方も多いのではと推測いたします。
心より哀悼の意をこめて、お元気でいらっしゃった頃の金原先生を追悼したいと思います。
もうひとつは、溝渕園子先生のご講話と、先生を囲んでみんなでお話しする時間です。
溝渕先生は、現在、広島大学大学院人間社会科学研究科の教授でいらっしゃいます。
1999年から2007年まで、熊大比較文学研究室で教鞭をとられ、お世話になった卒業生の方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。
ご専門のお話しや、熊本時代の懐かしいお話なども聞けるのではないかと、楽しみにしております。
お忙しい中、ご講演を快くお引き受けくださった溝渕先生には、心より感謝申し上げます。
出欠の返信は、8月末日までに以下のGoogleフォームよりお願いいたします。
出席いただく方だけでなく、欠席の方にもお返事をいただけると幸いです。
zoomですので、急な予定変更などは全くかまいません。
可能な時間だけのご参加も、歓迎いたします
※熊大比文研究室同窓会申し込み – Google フォーム
https://docs.google.com/forms/d/16OF-h4vuG2W3lbB2zggNCfmU89lHgrquXREyF5kM9sU/edit
また、公式サイトに金原先生の追悼ページを掲載する予定です。
つきましては、みなさまにお願いです。
「金原先生を偲ぶ言葉や思い出のエピソード」をお寄せください。
短くてもかまいませんし、ご希望ならイニシャルで掲載いたしますので、よろしくお願いいたします。
こちらは、出来ましたら8月の末日の締め切らせていただきたいと思います。以下のメアドにメール添付でお待ちしております。
※熊大比較文学同窓会メール
kumadaihibun@gmail.com
努力しておりますが、なかなか卒業生全ての方には連絡が行き渡っておりません。
お知り合いの方にも、このメールを転送するなどしてお誘い下されば幸いです。
zoomのアドレス等は以下になります。
https://us06web.zoom.us/j/83100482719?pwd=qno72CMExK1vU4ms3FK5cwabdWVV97.1
ミーティング ID: 831 0048 2719
パスコード: 950184
それでは、みなさまにお会いできるのを心より楽しみにしております。
同窓会幹事代表 中島哲哉
8月25日(日曜日)午後7時半より
「平家物語」より「敦盛」と、時間があったら「実盛」
今後はなるべく月に一回やって参りますので、よろしくお願いいたします。
とはいえ、まだまだフラフラの暗夜行路なのは変わらず。
でも、みんなで読むときっと楽しい!
「平家物語」には、お話しがとても沢山入っているので、まずは有名どころから。
特に準備はいりませんので、丸腰でお気軽にどうぞ!
7月21日 夜7時半より
カフカ「変身」
**************************************************************
Nam(私です)
最初に確認したいんだけど、これ翻訳がいっぱいあるみたいなんだけど、みんなは誰の翻訳で読みましたか?
(高橋義孝、城山義彦、原田義人、丘沢静也とみんなバラバラでした)
じゃあ、ひょとしたらちょっとずつみんなそれぞれ印象が違うかもしれないけど、それ前提でいきましょうか。
Njさん
久しぶりに読んで、なんか全然印象が違っていた。昔は人が起きたら毒虫に変わっているというところにポイントがあったんですけど、今回はむしろ周りの家族の反応の方がとても気になった。たぶん歳を取ったせいかな。みなさんも経験があると思うんだけど、自分の身の周りに老いた年寄りとか、段々体が自分のいうことをきかなくなったりとか、ちょっと自分が今そういう時期でもあって、まあそういうこととか、語弊があるかもしれないですけど、例えば自分の家の中に障がい者がいるとか、とても凶悪な息子がいるとか、もしもそういう人が読んだら全然比喩として読めちゃうだろうなあ・・・と思いましたね。
後はなんか、妹の最後の「これはお兄さんじゃないわ!」っていうとこ、ぐっときたというか、新しい何かに入っていく・・・そういう印象でした。
Saさん
私が読んだ訳だと3章に分かれていて、1章目と2章目は一人称、グレゴールの視点で語られていて、3章ってほんとに虫になって最後には亡くなってしまう、死んでしまう、っていうのは三人称で書かれていたんですよ。
確かに私も家族のことが、どちらかっていうと主人公よりも周りの家族の再生が書かれている本なのかなあ・・・って感じました。
毒虫に変わったのは、比喩っていうか、Njくんも言ったように障がい者とか、寝たきりの年老いた両親とかを抱えた人たちにとっては、ちょっと身につまされる思いがするのかな・・・って思いながら読みました。
Kさん
自分も毒虫になるところしか知らなくて、今回初めて読んだんですけど、なんか思ってたのと違った・・・っていうのと、あんまり主人公にとって希望のある終わり方でなかったので、それが最終的に救われるのを期待していたので、結局虫のまんま死ぬんかい!っていうのと、あとこれは、変身する前は主人公が家族を支えていたのに、最終的には主人公がいなくなって家族はハッピー!みたいな終わり方をしていたのが、なかなかシビアというかね、残酷な感じがして・・・でも、読んで面白かったのは面白かったです。
Haさん
めちゃめちゃ久しぶりに読んで、昔・・・若い時は「なんて酷い家族なんだ!」って思って、最後に「この娘にお婿さんを」みたいな、なんてことを!って思ったんですけど、例えばNjさんがおっしゃったように、病気の方がいるとか、老人がとか認知症の方がいるご家庭とかで、こんな風に思うんかなあ・・・っていう感じがちょっとしたんですね。
たまたまこの間、「認知症」っていう言葉を初めて使った・・・「痴呆症」を「認知症」って変えたお医者さんのドキュメントがあって、その方が認知症になったんですよ。
そのお医者さんが、その姿を撮影して欲しい、役に立って欲しい、ってことで、2,3分のダイジェスト版だったんですけど、「認知症になられて何が違いますか?」という質問に「なんにも変わらない」っておっしゃったんですよね。「私としてはなんにも変わらない」、そして後でインタビュアーの方が「本人は変わらないけど、周りの人が変わるんだなあ」ってことをおっしゃっていて、それがこれかな・・・と思って読んだんですよね。
結局この人って、こんなに酷い扱いされてるのに、全く恨んでないでしょう?
最後の最後まで、死ぬことがみんなの幸せなんだ、みたいな深い感謝をもって死んでるんで、神様みたいな人だなあって思って。この人神じゃない?って思って。
なので、すごい人なんですけど・・・なんか、うーん、ちょっと不条理っていったら不条理なんですけど、何も変わらずに、自分は変わってないんですけど、何かの障がいを得たりすると、周りはこんな風に変わるんだなあ・・・って。
でも、自分の中では希望をもって、最後までいくっていう、信仰的な話なのかなあ・・・って、ちょっとだけ思いました。
Hさん
私は最初は朝起きたら虫になってた訳なんだけど、虫になりたいからなったんだろうな・・ってちょっと思ったんだよね。
っていうのも、要するに、仕事に行きたくないとか、学校に行きたくないっていうのも近いのかもしれないけど、自分がしたくない、なんかもうとっても何かしたくないから、虫になればもうしなくて済む、誰に対しても虫だからできないという正当な理由付けができるから、この小説の中では虫ってことになっているんだけど、仕事にもうどうしても行きたくないとか、今まで家族の借金を返すために少しずつ少しずつ無理をして、たまりにたまっていた何かが、虫になればもうそれをしなくて済む・・・。
例えば学校に行きたくないとか、そいうのも虫になれば正当な理由付けが、誰でも「じゃあ仕方がない」、自分に対しても「行こうとしてるんだけど虫になっているから体の自由がきかなくて仕方がない」、で、家族ももう「行くも行かないも、もうその部屋にいるしかない」っていう・・・。
そもそもは、自分の願望で、なりたくてなったのかなあ・・・っていう気が最初の方はしていて、やっぱりそこを通りこしたら可哀そうで、っていうのも、自分で願って虫になったにも関わらず、なんとか今の状況を抜け出そうと試みたりもがいたり、色んな事をしてなんとか打開しようとするあたりが、なんとも可哀そうな感じがしました。
で、確かに障がい者とか、体がきかない高齢者とか、色んな見方があるとは思うんだけど、ちょっと今風にいえば「ひきこもり」的な感じなのかなあ・・・っていう風に思ったかなあ。
で、なんかちょっと分かるっていうか、ただ何かをしたくないとか、どこかに行きたくないっていったんでは、やはり自分にも言い訳がたたないし、、周りも許してくれない・・・けど、虫になってしまえばもう「できないってことにすごく説得力がある」っていうか、誰しも何かをしたくない時ってあると思うんだけど、その時の対処法として、この人は虫になっちゃった・・・まあ、人それぞれいろんな対処法があると思うんだけど、ちょっと私は「ひきこもり」に似てるかなあ・・・って思いました。
Nam
何を言っていいんだかいまひとつ分からないのと、細かい部分をと思うとやっぱりこういう「翻訳もの」ってどこまでこの文章にこだわって読み込んでいいのかがちょっと戸惑ってしまって、名前からして私が読んだものでは「グレーゴル」なんですよ。
この高橋さんだけがそうで、割と他の翻訳では「グレゴール」でしょ?
あと、翻訳の話になっちゃうんだけど、この高橋さんがこれをだしたのが昭和27年、だから1952年なんだけど、けっこう今まで読んできた太宰とか、その辺の言葉の古さがあるんですよ、この訳。
例えば、「ひっそり」のことを「ひっそり」に「閑散の閑」をつけて「ひっそり閑」とか、「アーモンド」のことを「巴旦杏(はたんきょう)」とか書いたり、そういう言葉の古さと、独特の堅苦しさが文章にあって、ちょっと読みやすい文ではなかったんだよ、砕けた所が無くて。
でも、その分、堅苦しいからこその滑稽味みたいなものはこれにはあって、もちろん全然悪い訳ではなく、いい訳だと思うんだけど、私は本当に翻訳ものって「どこまで信じていいの?この文章を」って思っちゃうんだよね。
これ、もともとはドイツ語だよね?書かれたのは。
で、他の人の翻訳はどうなんだろう?と思って、ちょっと見てみたら、多和田葉子さんが最近翻訳してて、そうなると、この高橋さんのとは全くの別物の小説のような訳になってるみたいなんだよね。
で、まあ、これで読んだから、これで話をするんだけど・・・。
私はやっぱり「虫!」(笑)
虫にこだわちゃってて、前回のカフカの時にどんな虫かって話があって、蜘蛛だとか甲虫だとかゴキブリみたいなのとか天井を這えるような虫だとか・・・だから一体これは文章からどんな虫が浮かび上がってくるんだろうかと思ってみてたら、横向きに寝たいんだけど横向きになれないとかさ、お腹にかかっている布団が滑り落ちるようなお腹だとか、お腹が膨らんでて横向きに線がいくつもあるとか、手が細くて何本もあるとか・・・これね、後ろの解説にはムカデって書いてあるんだけど、私は最初の方はどうしても何かの甲虫、頭が小さくてお腹がでっかい「シデ虫」みたいな甲虫を思い浮かべて読んでたら、途中から部屋に入ったら方向転換したいのにそれがままならない、わちゃわちゃ手足が好き放題に動いて制御出来なくて方向転換がままならないとかなってて、そしたらもっと節足動物みたいに足が多いのかなとか・・・。
結局、読んでて結論がでなかったの。これを読んだ印象では。
で、お父さんにリンゴを投げられたらリンゴが背中にはまっちゃって(笑)、結局死ぬまでそのリンゴが取れなかった。
となると、私の思った「シデ虫」ではたぶんない?
どういう虫をカフカがイメージしてたのかは分からないけど、私は最後まで結論が出なかった。
「背中にリンゴがはまる虫?」(笑)
Hさん
そこが、私もどんな状態なのかなあって(笑)
Nam
思うよね?(笑)
しかも、哀しいことに最後までリンゴが取れなくって、死ぬときも背中にリンゴがさ・・・干からびたリンゴが背中に埋まったまんま、そのリンゴが、部屋を掃除してもらえないからそこらじゅうがほこりとか髪の毛とかですごいことになってて、ほこりをかぶって、干からびたリンゴを背中に埋め込んだまんま、体が動かなくなって死んでいく・・・っていう、こんな哀しい死に方があるのかっていう死に方するんだよね。
どの解説を読んでも、父親が投げつけたリンゴが原因で、その傷が炎症を起こして衰弱して死んでいくって書いてある。
にしては、父親は「力なく放っている」んだよね。
Hさん
殺す意図はなかったんだろうけどね。
Nam
彼はさ、虫になるじゃん?
で、背中が鎧の方に固くって、虫になったんだからさ、そこから「俺のターン」ってなってもいいじゃん?
「俺、強靭な虫の体手に入れたよ」って。
だけどさ、彼の虫の体はものすごく傷つきやすいんだよ。
しかも、虫の体を全く制御出来なくて、最初は声をだしてしゃべれるんだけど、声をだしたらピーピーいう声がダブルでかぶさってきて、次の日くらいにはもうしゃべれなくなっていく。
で、ドアにぶつけては、足が傷つき、もうやたら弱いんだよ。でっかい虫の割には。
なんとも哀しい虫なんだよね。
あのさ、「虫の目」っていうカメラがあって、色んな虫を撮影して、虫を等身大パネルにして展示会する写真家の人がいる。
ところがさ、バッタでもカマキリでもなんでも、虫を巨大化した瞬間に、虫ってものすごく強靭で恐ろしいものになるのよ、虫って。
「あー、指先サイズで良かった」って思うんだけど、こんだけ巨大だったら、カマキリのカマひとつで、人間なんてざっくりやられちゃう。
だから、本来は大きくなったら虫の体って本当に強靭なものになるはずなんだよ。
なのにさ、このザムザときたら、本当に哀しいくらいに脆弱な虫?(笑)
なんかさ、虫好きな私からしたら「なんなんだよ、これ!」と思って。
せっかくおっきな虫になったのに、この傷つきやすさときたら・・・。
で、これさ、カフカを感じるよね。このザムザに。
この家ってさ、ザムザがいたから経済が回ってるっていう稼ぎ頭で、本当に辛い仕事を必死で頑張って、でも家族は最初は給料を出したら感謝して喜んでいたのが、だんだんと有難みも薄れて、家族は感謝することもなくなっていた、そんな中で必死に働いてたんだよねザムザは、そして妹を音楽学校にやってやろう、もうちょっと自分が頑張ればそれも夢ではない、クリスマスにそう言って喜ばせてやろうと思っていて、それを励みに涙ぐましいほど家族のために尽くしてきた男が、いざ虫になって金稼げなくなった瞬間のこの家族の冷たさ!(笑)
Hさん
色んなことがね、感謝じゃなくて段々と当たり前のことになってきてしまうっていうのは、家族にありがちなことかなあ。
Nam
にしてもさ、凄い扱い(笑)
妹も最初は好物の「ミルクパン粥」を作って、ザムザは虫だから食べられないんだけど、そしたら次は色んなものを置いてみて「お兄ちゃん何なら食べられるの?」ってやってたのが、そのうちに食べれような食べられなかろうが、何でもいいようなものを足で部屋に蹴りこんでる。
口をつけなくても気にもしないで箒で吐き出して片付けるって、食べ物を与えるような態度じゃなくなっていく。
ほんとにさ、このザムザの哀しさ・・・。
なのに、他の人も言ったように、もうちょっと虫になったらショックを受けたっていいようなもんなんだけど、意外とさ、自分が虫になったこと自体にはそんなに衝撃を受けてないよね、この話の中でさ。
ただ、最初は虫になったとはいいながら、6時半だっけ?電車に乗れなかっらから、次の電車には乗らなくっちゃとか、普通ありえないじゃん、自分が巨大な虫になったら、なのに「はい、じゃあ次の電車に乗って仕事場に行こう」とか、思ってるところがすごく面白いんだよね。
Hさん
そこがまあ、「仕事人間」的なところなのかなあ。
Nam
不思議な面白さがあるよね?
なんかさ、滑稽なところも沢山あるんだけども、やっぱりさ、この悲哀、ザムザの悲哀が胸に迫ってくる・・・(笑)
でも、最後、本人はそんなに辛くもなく、なんか当たり前のように、安寧の中に行くように死んでいくんだよね。
Hさん
結局、家族の為ばかりに生きて、自分を生きていないような感じは少しするかなあ。
Nam
そうなんだよね。
でも、面白いのはさ。
壁に女の人の絵を飾っていて、雑誌から切り抜いた肖像画を、わざわざ手作りの素敵な額に入れてさ、飾ってるじゃん。
でさ、家族がさ、うちの中の色んなものを、家具とかをさ、ザムザから奪い取ろうとした時にさ、もうさ、「この絵だけは持っていかせん!」ってしがみつくじゃん。
Njさん
そここだわるか(笑)
Hさん
そこだけは自分を出したよね!(笑)
Njさん
そこイレギュラーな感じがした(笑)
Nam
雑誌から切り抜いた絵だから、たぶんたいした絵じゃないんだけど、なんかザムザにとっては琴線に触れうような女の人だったんだよね。その女の人に執着するところ、なんか哀しいよね。
なんかちょっと好きだった風な女の人がいたようなことが書いてあるんだけど、もう虫になっちゃったらその人との親交も望めない・・・そんな状況の中、好みの女の人に執着して、虫になった彼がしがみついてるとか、滑稽なような哀しいような。何とも言えない。
Hさん
虫になってる間にね、自分が虫になったことをに対して悲嘆にくれるというよりも、やっぱり家族の心配ばかりしているところが、自分のもうちょっとね・・・どうなんだろうね。
Nam
妹のバイオリン。妹が内職しなきゃいけなくなって、バイオリン弾くこともなくなっていたのが、ある日下宿人3人置くことになって、その下宿人の前で弾くじゃない。でも、そのバイオリンの音色がどんなに素晴らしいか分かっているのはザムザだけ、下宿人はもう飽き飽きしちゃって早く終わらないかなと煙草吸ったりしてるのに、ザムザはさ、妹のバイオリンに心打たれて、思わず這い出して、部屋に行くとことかも切ないよね。
まとまりもつかないけど、なんか美しいような、哀しいような・・・でも、死ぬところはさ、哀しいと言えば哀しいんだけど、そんなに苦しまずにね、本人もなんかもう納得した感じで。
Saさん
なんか家族が、段々逞しくなっていくじゃない?
お父さんなんて、最初は全然グレゴールが働いていたころは動くことも出来なかったような感じだったのに元気になっていく、それちょっとグレゴールにとっては寂しかったのかなあって感じる。
自分の存在意義がなくなってきたっていうか。
Hさん
ちょっと家族の為に生き過ぎちゃってるのかなあ。
Saさん
そう、お互いに依存し合っていたって感じだよね。
Nam
これさ、白髪のお手伝いの婆さんみたいな人出てくるじゃん(笑)
Kさん
その人めっちゃ好きです。いやあ、タフでいいわ(笑)
Nam
なんか「馬糞虫ちゃん」とか書いてあるんだけど、グレゴールのこと全然怖がらずに、からかってさ。
「はいはい、こっちにおいで、馬糞虫ちゃん」とか言って、この婆さんね(笑)
Kさん
いやあ・・・いいキャラですわ(笑)
Nam
最後、すごくない?(笑)
「もう死体のことは心配しないで、あたし片付けたから(ハート)」みたいにさ。
私さ、等身大の虫の死骸をどうやって片付けたんだろうって思って(笑)
もうさ、痩せちゃってさ、食べ物食べてないから、死んだ時は干からびたみたいにぺっちゃんこになってたじゃん。
虫ってさ?ご飯食べないと痩せるのかな?あんまり痩せた虫って見たことないんだけど。
Kさん
確かに(笑)
Hさん
でもさ、繊細なグレゴールが死んで、逞しくなった家族と、そのお婆さんはしっかり生き延びてるっていう(笑)
Nam
そうなんだよね、妹しかもグレゴールの死体を見たら「まあ、なんて痩せてるんでしょう!確かにずいぶん長いこと食べ物食べてなかったからね」みたいなこと言っちゃって。
Hさん
なんかほんと、悲哀というか、何ともいえないね。
Nam
意外とこのお母さん?
ザムザみると「きゃー!」とか言って失神しちゃうんだけど、でも意外とちょっとやっぱり母親だから、ちょっとだけ優しいんだよね。
Hさん
一番優しい。
Nam
自分の息子が虫になったことを受け止められてるのか、やっぱりそこは切り離して、今までの記憶の息子だけを見ているのか、そこは分からないけれども、少なくともちょっと優しいし、お父さんをとめて命乞いをしたり、お医者を呼ぼうとしたり、お母さんだけはちょっと優しい。
でも、グレゴールを見ると失神しちゃうんだけど(笑)
Hさん
家具をどかすのを反対したりね。戻った時のことを考えて。
なんか変身するって、なんかあるのかな?
結局虫に変身して、タイトルも「変身」ってついてるんだけど、変身するってなんかのメタファーっていうか、全然しらないんだけど、流れをたどって行ったら変身の系譜ってあるのかな?
Nam
メタモルフォーゼものって、絶対あるよね?
Hさん
何か象徴みたいなものとかあるんですかね?
Nam
どうかな・・・でも変身願望っていうのは、誰にでもあるものだかな、とは思うんだよね。
Kさん
変身したいですか?みなさん
(ここから個別の変身願望の話・・・にはならなくて、ハロウィンとか戦隊ものとかプリキュアとかの話に)
Hさん
何故この人は虫になって・・・?だから虫になれば社会的なことは何もしなくてすむ・・・。
Njさん
何故虫なのかなあ・・・って・・・。
Nam
どうなんだろうねえ・・・でも、滑稽な話として書いた部分もあるらしいんだよね。
だからその・・・「人間」がなるときに・・・ちょっと分かんないけどね・・・じゃあ、「人間」が何かになる時に何になるかって・・・。
例えばさ、この辺に(頭の上めいっぱいを手で示す)神がいるとしたら、こっちの辺に(下の方めいっぱいを手で示す)虫。
だから、人間が真ん中辺にいるとしたら、落差が、こっち方向か(上)こっち方向か(下)で、もっともこっち方向で(下側)で変えて面白いというか意外性が強いものって思って虫なんじゃないの?
だから、虫でも、これってカブトムシじゃないもんね。ヘラクレスオオカブトとかじゃないじゃん。
「害虫」?
なんか人に忌み嫌われる虫?っていう感じ?
で、なんかこれ、私うろ覚えなんだけど、多和田葉子さんの翻訳だと「生贄にさえできないような汚れている生き物である虫」そういう意味に訳してある。
この言語の「虫」に該当する部分は、通常「害虫」とか翻訳するみたいなんだけど、別の意味で「生贄にできないもの」つまり「神にささげるに値しないもの」みたいな意味があるみたいで、それを見つけて翻訳しているみたいなんだけどね。
Kさん
そう聞くとやっぱり「役立たず」な意味合いが強いのかなって気がします。
Hさん
一気に生産性が全然ない人になっちゃってるよね。
だけど、その人が、役立たずみたいになっちゃってるけど、そこをもちろんそのまま言いたかったんじゃないんだろうけど。
Nam
だから、「害虫」以外には翻訳を読むと「毒虫」って訳してる人もいて、でも、毒虫っていると刺されて痛い虫とか、ムカデとかハチとか蠍とかタランチュラとか、そういうものを思っちゃうんだけど、どうもその、そういう「強さのある虫」じゃないっぽい?
毒で何かと戦う力を持っている虫ではない感じ。
だから、何とも戦えない、何の力も持ってない、ただ大きいだけで、役にも立たないし、傷つきやすくって、すぐあちこちダメになる。しかもお腹に、白いつぶつぶができちゃってて、皮膚病なのかダニにたかられてるのか分からないけど、もう最初からダメになっちゃってるんだよね、この虫の体。
ものすごい哀しい虫。
Hさん
さっき言ってたみたいに、一番神様とか真逆な位置にある繊細で弱くてみんなから忌み嫌われている虫が、結局は家族を逞しくして、妹も逞しくなり、生き生きとした家族に再生したとしたら、一番下にいた虫が、Haさんが言ったみたいにひっくり返って神様になってた、っていう・・・ことに受け取れる?
Nam
でも、どうだろう、この逞しくなった家族好き?(笑)
Kさん
どうだろう、でも主人公に依存してるよりは好きかもしれないです(笑)
Hさん
私も。
Nam
これ、たぶん意見が分かれるところだと思うんだけど。
Njさん
僕はなんか成長した家族だなって。
Hさん
以前よりは、自分たちで稼いで、自分たちで生活して、自分の足で立ってる感じはする。
Njさん
「変身」って、ある意味家族の変身とかかも。
最後の方でさ、「娘がこの日ごろ顔色を悪くしたほどの心配苦労にもかかわらず、美しい豊麗な女に成長しているのにふたりはほとんど同時に気がついた」ってね、突然気が付くんだよね。
Hさん
やっぱ自立した感じが前よりする。
Nam
だからこの・・・いつ終わるともしれない面倒を妹は引き受けてやってた訳じゃん。ひょっとしたら一生だったかもしれない、先が見えないんだよね、こういう「もの」が家にいると(笑)
Hさん
まさにNjくんが言っていたような、西先生が「介護文学」っていってたんだけど。
Nam
ほんとに、先の見えない世話だからさ、途中で嫌になったって、責められない部分もある・・・。
で、それを潜り抜けてさ?ほんとに最後、晴れ晴れとこの話は終わってるよね?(笑)
でさ、最後にNjくんが言ってくれたところでさ、辛い思いをして面倒見てきてさ、今は内職をして暮らしている娘が、はっと気が付いたら美しい豊麗な女に変身しててさ、両親が「なんとうちの娘は美しい女になったことだろう」って気が付いてさ、前にHaさんが言ってたけど、娘に婿を取らせてやろうと・・・。
いきなり今までの話と雰囲気が変わってさ、前にHaさんがここのこと引用してくれたと思うけど、「若々しい手足をぐっと伸ばした」らさ、「ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証にように映った」と。
娘が健康的で美しく、生き生きとしているその若さと美しさが、夫婦にとってはもう福音のように、新しい希望のように映っている・・・っていうもうこれさ、教会の鐘が「リンゴーン♪」って鳴り響きそうな(笑)
Njさん
ね、光がさしてね?
Nam
光がさして、ハレルヤ!みたいな感じで終わってるよね。
Hさん
ただ、その少し、何ページか前にはさ?
晴れ晴れとしてるんだけど、いきなり晴れ晴れとした訳ではなくて、「ザムザ夫人は悲しげな微笑を浮かべていた」とかね、「みんな少し泣いた後があった」とかあるんで、そこの段階を経て、晴れ晴れとしたってところはあるんだろうけど。
Nam
でもさ、みんなでドアの向こうでちょっとだけ泣いてさ?
でも、出てきたらさ?
「死体は片付けときました(ハート)」ってあの婆さんが(笑)
もうさ、うずうずしてるじゃん、言いたくてさ?
Kさん
うーん、そういうとこも好きやわあ(笑)
Nam
ね?いいよね?(笑)
薄笑いを浮かべて戸口に立ってさ、この一家にすばらしいことを告げてやりたいと、その素晴らしいことって何かっていったら・・・「や、あの死体、片付けといたんで。あの汚い虫の死骸、あたし片付けときました」って言いたくてうずうずしてる(笑)
で、それを説明したらさ?
結局、死にました、ちょっと泣きました、でも干からびた死体は片付けました、さっぱりしました・・・と。
そしたら妹は美しい女になっていましたって・・・。
ほんとにさ、舞台が転換したみたいにさ、ここで「ケリ」がついちゃってさ、この一家は新しい希望を得て・・・っていう話だよね・・・。
Hさん
なんかもしかしたら、人が死ぬことって、悲しいことだけじゃないのかもしれないね。
Kさん
まあ、なんか、次の段階っていう感じで、今の問題が一回終わって・・・っていう気持ちにはなるかなと思いました。
Nam
これはまさにそうだよね。
しかもザムザは「やっかいもの」だった訳じゃん、「どう扱っていいのか分からないもの」になっちゃってた。何言ってるのか分かんないし。
でも、そのやっかいものが片付いた。
Hさん
確かに、次のステージに移るみたいな意味もあるのかなあ。
Njさん
やっぱり、家族だったら次に行かざるを得ないっていうかね。
それがしょうがないというか、健康な、健全なあり方というか。
Kさん
結局はこの家族は、それまではあんまりぱっとしなかったのに、息子が虫になったことをきっかけに、ある程度の地位とかも得た訳じゃないですか。社会的立場みたいなのも、ってなったら、ますますやっかいものっていうか「こいつがいなければ」感がでてくるんじゃないかと思うですけど・・・。
今までそいつに養ってもらってたんだよ、って思いますけどね。
Nam
そこが哀しいんだよね。
Hさん
ただ、養ってもらっていたことって、割とすぐ忘れちゃうかもしれない(笑)
例えば自分たちだってさ、一時期は親に養ってもらってた訳じゃない?でも、家族がゆえにそれってやっぱり忘れちゃうかも(笑)
Nam
これ、何が哀しいってさ、グレゴールはほんとに、色んなことを計画してたんだよね、自分なりに家族に対してさ。計画して、頑張って、家族の為に、家族の為にって、ほんとに色んな計画があったんだよ。
でもさ、それが独り相撲(笑)
Hさん
為にと言いながら、為になってなかったのかもしれない。
家族の為に思って私は頑張ってきました、っていっても、実は為になってなかった部分もあったんだと思う。
Saさん
ひとりよがりだった。
Njさん
ある意味、自分の為にやってたみたいな部分もあったみたいなね。
Nam
でもさ・・・伝わってない。たぶん「グレゴールの思い」が。
そこが哀しいと思うんだよ、私。
一生懸命一生懸命やってきて、妹を音楽学校にやってやろうと思って、やったら喜ぶだろうと思って・・・「家族を喜ばせよう」と思ってる彼の気持ちが、全く通じてないっていうのが、とってもグレゴールの哀しいところ。
Hさん
ただ、親子関係で良くあると思うんだけど、「頼んでは無い」んだよね(笑)
Kさん
よかれと思ってやってはくれているんですよね(笑)
Hさん
妹の為を思って色々やってるんだけど、妹もそれを頼んではないから、そこがなんというか、よくある「為を思って」っていうのがひとりよがりなところもあったのかもしれない。
Nam
これさ、「季節のない街」っていうドラマのあのさあ・・・。
Saさん
私もね、すごい思った。
(「季節のない街」は、宮藤勘九郎の脚本のドラマ。山本周五郎原作。黒沢明の映画「どですかでん」のリメイク。そこにでてくる母親を思って懸命に金を貯めようと頑張る次男が、母親には全くその思いが通じなくて、むしろ嫌われてどうしようもなく辛くせつない思いをするという回があって、その次男がザムザとオーバーラップするという話)
Saさん
そんな風で、言葉って大事なのかもしれない。
Nam
グレゴールがさ、2日目くらいにしゃべれなくなっちゃうじゃない?
そこが哀しいんだよ。
だから、頭の中で計画してたことがあって、家族に対する思いはあるんだけど、もうそれを伝えるすべがないっていう。
だから妹を音楽学校にやりたかったんだよ、きっと喜んだはずでしょう?っと、そういう風に思ってたよ、って思っても、もう二度と伝えられない。
そこがとっても哀しいんだ。
Saさん
なんか、クリスマスに言おうとしてたんだよね?
で、「クリスマスはもう過ぎてしまった」みたいなのが・・・。
Kさん
そうでしたね、あれせつねえ・・・。
Hさん
あとその、「お母さんお母さん」って、やっとお母さんに会えると思ったシーンもあったよね。やっと会えると思ったんだけど、会えたらけっこう邪険にされたような。
母親に会うという望みが実現するんだけど、お母さんはそうでもなかったみたいな。
Njさん
お母さんなんかびっくりしちゃう。
Nam
グレゴールはさ、声も奪われるんだけど、目も奪われちゃうでしょ?
視力。
だから、窓にもたれて外を見てたのにさ、もう目が見えなくなってるから、今まで見れた景色ももう何も見えない。
だから、視力も無い、言葉も発せられないっていう状態の中で、傷つきやすくてすぐ痛む体、それがさ、最後に耳は聞こえるから、妹のバイオリンだけは彼の心を揺り動かしたんだよね。
それで、思わず知らず、その部屋に向かっていざりよっていってしまった。
で、出ていったものだから、最後は死に向かうようなことになってしまうんだけど。
彼の唯一残っていた人間らしい心が妹のバイオリンで、そのバイオリンの良さを分かっているのは彼だけだったけど、それも妹には分からない。
だから、彼は何も伝えられない・・・っていう、哀しさがあるんだよね。
Kさん
話ちょっと変わっちゃうかもしれないんですけど、妹ってほんとにバイオリン上手だったんですかね?
Nam
そこはそうでもないと思う(笑)
Kさん
なんか音楽学校に入れるって話しも主人公が言ってるだけだし、妹がそれを望んでたかは分かんないじゃないですか。
Hさん
望んでるとは書いてないよね。
Kさん
書いてないんですよ。泊ってる客も別にぱっとしない感じのリアクションだし、実は兄のひいき目で、ちょっと良さげに聞こえてただけなんじゃないかって説が(笑)
Hさん
妹もその音楽大学に行きたがっていたとは書いてはない・・・。
Kさん
そうそうそうそう。実は、下手の横好き的な感じでそんなに・・・だったのかなっていうのは、ちょっと思いました。
Hさん
そんなに裕福な家ではないからね、バイオリンを良いレッスンに通ってしっかりやっているという感じではないよね。
Kさん
そう、たぶん自己流じゃないですけど、自分で弾けるようになってる感じ、っぽかったので・・・。ってなったら、やっぱり・・・話し合いすれば良かったのに、って思いました(笑)
人間関係って、やっぱそうなんだな・・・って思いました。
みんな
確かにね・・・。
Nam
でもこれ、ちょっと前っていうか、結構前じゃん、書かれたの。
だから、親子関係っていうのがさ、たぶん今とかなり違う時代(執筆は1912年)だと思うんだよ。
父親の権威主義がまかり通るような時代、そういう時代の話だし、そういう家族の中でコミュニケーションをとるっていう考え自体が無い時代。
Kさん
お父さんの言うことは絶対的な?
Nam
そうそうそう。たぶんね?
だから、もうちょっと前になって、ヴィクトリア朝時代になっちゃうと、「子供に人権は無い」っていう時代だってあるじゃん。
だからまあ、時代ももちろんある・・・よね?
でもこれ、Kさんとかどうか分かんないけど、私くらいの年代だと、まあ、こういう家族関係っていうのは、とっても良く分かる。
その、フラットじゃないんだよ、全然。家の中に、格差がある(笑)
あと、「役割分担」が家族の中にとてもはっきりある・・・とかね。だから、お母さんは母親役で、お父さんは父親っていう役でっていう、で、ここは、父親がもう稼げなくなって借金してるから、長男がその役割を代替わりしてる。
Njさん
当然やるって感じでね。
Kさん
そう考えると、しょうがない部分もやっぱりあるんですかね?
お父さんらしい役割を、主人公もやってたって考えると。
Nam
そうだと思う。
Hさん
だけども、時代の変わり目まではなくても、それだと家族はこうなるよ・・・じゃないけど、ひとつの結果というか、あれなのかしら。
Njさん
お父さんも元気になっていって、「やればできるじゃない」ってねえ・・・。
グレーゴルは思ってるかもしれない(笑)
Hさん
ちょっと見方を変えると、確かに家のなかに「やっかいもの」がいれば、「役立たず」のようだけど、やっぱりそこを中心に家族が変われるっていうのはあるのかなあ・・・って。
Nam
だから、異端のものが家族の中にいるから、その周りは団結していくっていう・・・。
当然ね?
で、ドアを閉めてひそひそと、家族で彼のことを話すようになる、っていう(笑)
虫になった彼に皆の視線が行くことで、横が連帯しちゃうっていう。
Hさん
現状を打開しないといけないから、家族同士で話し合ってね・・・。こう一々どう打開するかって話し合ってね・・・。話し合いをしないといけないから、前よりも話をするようになったのかもしれないね。
Nam
なんかさ、生産的な話をしてるっていうよりはさ、なんか「噂話」的な?
「起きてるよ」とか「どうすんのよ」みたいな。
Hさん
例えばもし家の中にすごく体の不自由なお年寄りがいたとしたら、やっぱり残ってる家族は、対等な関係で協力しあわないと、生活が成り立っていかないから、上下関係じゃなくて、協力関係で進んでいかないとね。
Kさん
喧嘩してる場合じゃないみたいになりますよね?
Nam
でもさ、意外とそうでもないっていうかさ・・・そこが悲劇なんだよ(笑)
見ない人間がでてきちゃうとかさ・・・?
ここだと、妹が独りでその役割を背負うじゃない?そしていよいよ立ち行かなくなって、爆発しちゃうんだけど。
ザムザの母親は母親でありながら、何の役割も果たさないじゃん?
ましてや父親なんて、部屋から出てきたら追い払おうとするだけで、言葉をかけてやるでもなく、全く関わらないよね?
で、妹だけが背中に役割を背負う。
だから、決して、ザムザがいることに向かって、協力体制を取っている家族ではない・・・と思うんだけど、まあ、そんなもんだよね?って感じ。
Hさん
でも、追い出したりはしてないから・・・。
家族それぞれの内面を描いてる文章ってないから、行動や行為は描いているけど、どんな気持ちだったかとは書いてないから、追い出しては無いから、家族ならではの少しの協力体制はあったのかな・・・って(笑)
Njさん
なんか家具を動かしたりね(笑)
お父さんはなんか就職したりね。
7月28日(日曜日)午後7時半より
今昔物語「羅城門」巻第29第18話
「太刀帯陣売魚嫗語」巻31第31話
芥川龍之介「羅生門」
今回は参加者が5人と、またじわりと増えて、大変嬉しいことでした。
担当者のNjさんが中心となって、今昔物語の「羅城門」と、芥川の「羅生門」を参加者全員で読み比べてみました。
まず「羅城門」と「羅生門」という名称の違いについて。
これはそもそもは「羅城門」と表記され、「らじょうもん」「らしょうもん」のどちらとも呼ばれていたことから、中世には「羅生門」と表記されるようにもなり、能にも「羅生門」という演目があるそうです。
芥川は、そういう事情から「羅生門」という名称をセレクトしたのだろうということでした。
平安京の羅城門は「朱雀大路」の南端に位置する門で、816年に倒壊し、再建されるも980年に再び倒壊し、現存していません。
南北約8メートル、東西約32メートルの二階建て構造のとても大きな楼門だったようです。
この物語の頃には、すっかりと荒廃して崩れかけた様子となっています。
「羅城門」の文中にでてくる用語について、図を参考にしながら説明がありました。
「頭身の毛も太る」という表現は他にも今昔物語にでてくるそうですが、ぞっとして頭の毛が逆立つ感じを、体感的に「髪が太る」というのは良く分かる気がします。
また、「鬼は怖いが、人の霊ならそうでもない」という当時の概念がでてくる参考資料として、「陰陽師」の映画の一部を見ました。
男に恨みを持った女が、男を呪って生なり(鬼)に変化していくシーンで、安倍清明が鬼になった女に驚き慌てるという様が、鬼というものの特別感を表していました。
芥川の「羅生門」は、「羅城門」を下敷きにしていながら、より詳しく色鮮やかな脚色がなされており、「さすがだなあ」といううまさがあるというNjさんの感想でした。
他の方の感想としては、Haさんの「近代文学の特徴なのではないかと思うけれども、最初と最後の印象深さ、文の美しさが心に残る」ということでした。
私の感想としては、「羅城門」では男は最初から「盗人」であるのに対して、芥川の「羅生門」では「下人」であって、その「下人」が「盗人」へと成り代わっていく複雑な心の動きがこの物語の真骨頂ではないかと思いました。
そして、この下人には頬に大きな面皰があり、それをずっと触って気にしているのが、迷っていた気持ちが吹っ切れて、盗人に変貌するシーンでは、面皰から手を放してもう気にもしなくなるという設定が、面白いというか、独特というか、印象深かったです。
Njさんの指摘がありましたが、「羅生門」では、老婆を様々な動物に例えています。
猿、猛禽類、鴉、ひきがえる、など。
猿は老いて体が細く縮こまり、しわだらけになった老人を例えるのに良く使われる比喩ですが、確かにニホンザルは赤ん坊でもすでに顔にしわが寄ってて年寄り臭い顔をしています。
対して、下人を動物に例えているのは、猫やヤモリで、いずれも静かに身を潜めている比喩です。
私は「南禅寺の門などの階段を参考に考えると、恐らくはこの階段も容易には登れないほどに急なものなのではないかと思われ、そうなるとヤモリのようによじ登る様は、的確な比喩だという気がする」と発言し、しかし、読み直してみると階段ではなくて梯子となっているので、それじゃあよじ登るしかないのは当たり前でした。
勘違いです。
芥川が「今昔物語」から「羅生門」に組み込んだもう一つのお話、「太刀帯陣売魚嫗語」ですが、これは蛇の切り身を干して、魚の干したものと偽って検非違使に売りつけて商売をしていた女の話です。
「羅城門」では、老婆が鬘にしようと死体から髪を抜く相手は、自分が世話なっていた家のお嬢様となっていますが、「羅生門」ではそれが「蛇を魚だと偽って商売をしていた女の死体」に変わっています。
老婆は、「だから死んで髪を抜かれる目にあっても当然の相手だ」と自分の行為を正当化しようとし、それを聞いた下人が「では俺がお前から盗むのもそれと同じことだ」という理由で、その行為に嫌悪感を抱いていた老婆から衣服や抜いた髪を強奪します。
私は、人が犯罪を犯すことに、「飢えている」などの原始的な欲望ではなく「自分なりの正当性」が必要としたところが近代的だと感じます。
それと、好き嫌いでいえば、「羅城門」の方が好きです。
生きていた時は大切なお嬢様であった人の髪を抜く方が、どうしようもなく荒んだ都の状況が生々しく感じられるし、いざとなったらそんなことさえ平気でする人間のどうしようもない性が面白いからです。
それと、以前の読書会の「マチネの終わりに」の回で、作者が作品の中に登場することについて「それはいつ頃始まったのか」という話題が出た時、全くいい加減に「近代文学からじゃないか?結構流行ったという気がする、例えば芥川とか」と発言したので、この「羅生門」にも「作者はさっき、『下人が・・・』と書いた」といきなり作者が登場するのを確認できて、少し安心しました。
ところで、Saさんが「こういうお話を高校の教科書に載せていて、先生方はどんな風に教えているんだろう。生きていくために泥棒するのは仕方のないことなのか、それともやっぱりどんな状況でもいけないことなのか・・・難しいよね。」と疑問を出されました。
そこから、昔の小説に描かれていることと、現代の倫理観などには齟齬ができつつあるという話題や、新しい小説ではどのようなものが掲載されているのかという話題になっていきました。
そして、Kさんによると、ご自分が高校の時に教科書で読んだものは結末が違っていたそうです。
教科書では、下人はまた盗みをする為に去って行ったというような終わり方で、今回読んだものは「下人の行方は、誰も知らない」と終わっているとのこと。
Njさんは、芥川が結末を書き直していると説明していました。
そこで、ちょっと調べてみました。
どうやら、ラストは2回改稿されていて、3つのバージョンがあるようです。
1915年(大正4年)初出時の最後の一文はこうでした。
「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」
1917年(大正6年)短編集『羅生門』(阿蘭陀書房)に収録された際には、以下のように改められます。
「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」
1918年(大正7年)短編集『鼻』(春陽堂)に収録された際に、現在の形へと変更されました。
「下人の行方は、誰も知らない。」
上2つと、最後のものでは、大きく印象が違っています。
最後のものでは、迷いに迷った結果、ふと踏み越えて盗人となった下人が、以後も盗みをするのかどうかは不明です。
また、「誰も知らない」とすることで、読者に余韻を与えます。
それと、読書会では言い忘れたのですが、作者が登場して下人の心情を解説する時に「Sentimentalisme」と形容しているのが、ちょっと気障でこじゃれていますが、こういう英語を取り入れた表現は、外国の言葉とその概念がどんどん新しく入ってくるようになっていた時代独特のものであるのだろうと思います。
ということで、他にも色々と楽しくおしゃべりしましたが、こんな感じで今回は終了。
次は、8月25日。
「平家物語」から「敦盛」とあとなにかやります。
私が適当に何か用意してまいります。
そして、Kさんから「夏向きの怖い話」をリクエストいただいたので、上田秋成の「雨月物語」を提案しました。
それはまた後日やろうと思います。
ゆるゆるのんびりとどこに向かうか分からない「ヒカクテキ古典部」ですが、Njさんがおっしゃるように「古典を読むと色々と広がる」ので、みんなで楽しく航海を続けていけたらなと思います。
<文責 ナンブ>